この↓映画をみてですね
映画みた後に原作を読んで
この本経由で知った小山内美智子さんの著書も2冊読みました。
”健常者”が当たり前にできていること、それは”障害者”にとってもできることが権利のはずです。しかし、障害者の方々は自分の力だけでそれを果たすことが難しいです。他者の手が必要です。健常者の手を借りて障害者が健常者と同じことをすることを望むと、我儘だ、と非難されてしまうのだそうです。
我儘(ワガママ)
この単語がこの3冊の中で何度でてきたことでしょうか。
鹿野さんも小山内さんも自分の”我儘”を貫くための戦いをなさってきたのです。健常者ができて当たり前のこと、障害者がそれをするためには健常者の手を煩わせることになります。手を煩わされた健常者は障害者にそれは”我儘だ”と誹るのです。
きっとね、手を煩わされない範疇だったら、我儘とは謗られないと思うのですよ。
有形無形、自分が持ってる何かを搾取されるから、そのことに対して抗議をしているのです、我儘だ、と。
歯磨きも排泄後の清拭も人手を借りなくてはなりません。もうちょっとキレイにして欲しい、あと5回拭いて欲しい、と思ってそれを口にだすと、我儘だ、と言われてしまうのだそうです。
我儘だ、と謗られ続けたら人はどうなるか、諦めます。声をあげることを諦めます。
自分の思いを口から出すことを諦めてしまいます。
どうせ無理
だって怒られる
やって欲しい、でも、どうせ無理、だって怒られる
本来ならあきらめの3D言葉の”でも”ですが、”でも、無理”ではなく、我儘って言われる、”でも”やって欲しい、と我儘を貫いてこられました。
我儘とは自らが発する言葉ではありません。我が意を訴えた人に対して、それが自分への搾取になるとジャッジされた人が発する言葉です。
一斉を風靡した「アナと雪の女王」、ありのままで、と歌っていたではないですか。
ありのまま、とは、我儘ですよ。
※実はアナ雪がどんな映画か全然知らず、あの歌だけがインプットされていたのでありました。エルサ姉ちゃんは自分の力をありのままに、我が意のままに使ったなら”我儘だ”と謗られたのでしょうね。だって雪や氷で困る人がいるから。
つまりは、我儘とは別に人格を否定する言葉ではなく、単なる利益相反の状態です。複数の物事がバッティング、コンフリクトしている状態ですよ。
滞った状態を溶かすためにはどうすればいいか、ネゴシエイトですよ。
ネゴシエイトするためにはどうすればいいか。折り合いをつけるために必要なことは何か。
まずは自分のWANTS・NEEDSを相手に伝えることです。折り合いをつける、というと、一方的に自分を押さえ込んでしまう人の多いことよ!
相手に”我が意”を伝えるのです。伝えたうえで相手の意思を無視する強硬手段に訴えたなら、それこそ”ワガママ”と言われてしまうのでしょうね。でもそれはワガママではありません、強行、無理強いです。
我儘という言葉は、”我が意”をちゃんとわかった上で、それを相手に訴えて、折り合いをつける余地もなく100%思い通りになったなら、思い通りにならなかった相手が”あんたは我儘だ”と悔しまぎれに使っているのでしょう。
正しい”我儘”は、ありのままの自分を出す、ただそれだけです。
その後の折り合いをつける作業は、まったく別物ですよ!っつか、出さないことには折り合いをつけるとこにたどりつけないですからね。
ノー我儘、ノー折り合い(なんだ、そりゃ
どうぞ、我儘なさってください。
折り合いをつけることができない場所・相手は、あなたが力や思いを尽くす対象ではないことでしょう。当然、その相手から否定される必要もありません。
でも。
我儘だって言われてイヤだったよね。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
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