忘れていません、忘れていませんよっ。
母の施設探しに息も絶え絶えになっているだけですよっ。
チャオさん、もう一度セッションを受けてくださいました。そこでいろんなことが氷解したのですが、あまりに達者な文章を書かれるので、レポートをお願いしました。すごくまとまっていて、ご自分の中での”風が吹けば桶屋が儲かる”のプロセスもわかりやすいです。
みなさんにとっても参考になる内容だと思います。
たいへん読み応えあります、どうぞ、ご鑑賞ください。
*
おしゃべりな私が口をつぐむ瞬間がやってきた。
兄の攻撃が始まった。
「あれしろ!」「これしろ!」「それはなんでや?」「あんたはどう思ってるんや!」
あぁ、うるさい!
なんで目の前の男は、こうも目くじらを立てて高圧的な物言いで、私をコントロールしたがるのか。。
でも私は言えない。
「そんなことはしたくない」「私だって忙しい」「一方的な意見ばかり押し付けてくるな」
大声で言いたい!
でも私には言えない。
頭の芯がジンジンと熱くなってくる。
喉もギュッとなって苦しい。
頑丈な蓋が張り付いて、声を出すことが出来ない。
私には言えない。
ちっちゃいちゃんは、お外がこわい。
なぜって
外に出ると、〇〇さんちのちっちゃいちゃん!って、言われるから。
ちっちゃいちゃんはいつも良い子。
しっかり者で、礼儀正しく、明るい。
誰にみられてもいいように、いつもちゃんとしている。
だって、お家の中でそう言われてるから。
でもお家の中もこわい。
だって、こわい人がいるから。
パパもママも、お家の外では人気者だ。
でもお家の中ではちょっと違う。
大きな声を出したり、人の悪口を言ったりする。
ちっちゃいちゃんは、それがイヤだった。
でも
もっとイヤなことをする人がいる。
それはお兄ちゃんだ。
お兄ちゃんは器用で、みんなにほめられていた。
ちっちゃいちゃんも、お兄ちゃんはすごいなぁと思っていた。
けれど機嫌が悪いと蹴ったり、怒鳴ったり。
お前はどんくさい!不器用だ!
とイヤなことばかり言う。
ちっちゃいちゃんは怖くて何も言えない。
いつも嵐が過ぎていくのを待つだけだ。
ちっちゃいちゃんちは弟以外、みんな太っていた。
忙しいママが作る料理はおおざっぱで、量だけが多いような食卓だったから。
目立ったらダメだ。
あいつデブのくせに!って思われてしまう。
ちっちゃいちゃんは、お外がもっと怖くなってしまった。
小学校高学年頃から、自分のデブで醜い姿が、どんどんコンプレックスになり、周りの人にどう思われるのかを気にする生き方をし始めた。
何かがうまく行く前に、失敗したり、途中でやめてしまったり。
思春期を迎える頃には、自分に全く自信がなくなっていた。
思うように生きて行けない。でもこれには何かの意味があるんだと、思い込むようになっていた。
何故なら、そう教えられていたから。
自分に起こる不幸の全ては、過去の業なんだと。
だから現世では良い事をして、それを克服しないといけないのだと。
大人になると益々、家の外の人たちが期待を込めた目で私を見るようになっていった。
「頑張ろう」「●●さんの娘だから大丈夫」
心の中では関わりたくないと思っているのに、私の気持ちなんてお構いなしに嫌なことを強いてくる。
こんなにやりたくないと思っているのに。
でも私には言えなかった。
だって言ってしまったら、父が職を失ってしまうかもしれないから。
だってうちが貧乏になってしまうかもしれないから。
母はいつも言っていた。
「我が家はあの人たちのおかげで暮らしていけている」
「頑張らないと、4年に一回、路頭に迷うんやで!」と。
だから私は言えなかった。
転職した先が性に合っていたおかげか、私は仕事が出来る人だと認められ、自信を取り戻していった。
結婚を機に家を離れ、両親を知る人たちとの接触もほとんどなくなり、気兼ねなく過ごすことが出来るようになっていた。
結婚相手に私が選んだのは、天真爛漫で表裏無く、真っ直ぐに生きている人だった。
夫家族を含め、こんなに素直で心根が良い人達が世の中に存在するのか。とまぶしいくらいだ。
でもそれが、私を苦しめた。
自分の家族問題が浮上する度に。
こんなにいい人を巻き込んで、私と結婚したせいで申し訳ないと。
そして私は、夫に何も言えなくなってしまった。
結婚して10年目に母が倒れ、長年勤めた職場を辞め、家庭中心に生活するようになった。
結婚後、家庭を顧みなかったことを反省した私は、家族中心に過ごせるパートや派遣先を、条件だけで選ぶようになった。
けれど同じ職場で長く勤めることが出来ず、辞めるたび、夫に呆れられているのではないかと顔色を伺い、自己嫌悪に陥った。
夫も、私が新しい職場や資格、趣味を見つけると必ず「ちゃんと最後まで続けられる?」
と、必ず水を差す様になってしまった。
私がいまぷさんを訪ねることになったのは、その時のパート先が原因で、心身ともに病んでしまったからだ。
周りの人間も、自分も、だれも許せなくなっていた。
その癖、体面を気にしてパート先を辞めることが出来ず、他人と自己を攻撃ばかりすることに嫌気がさしたからだ。
いまぷさんと話すことで、私のちっちゃいちゃんがどんなにお外が怖かったかを知り、自分をヨシヨシすることで、徐々に気持ちが軽くなって行った。
やりたい事をやってください。
そうアドバイスされた。
それから間も無くパート先を辞め、自分と、ちっちゃいちゃんが、やりたい事、やりたかった事をするようにした。
そして数年後。
しばらく距離があった兄が、私の目の前に登場した。
以前よりも威圧的で、攻撃的な姿で。
父が末期がんだと判明し、兄は相続対策に奔走し始めた。
大人になった兄は、こだわりが強く、せこくてしつこい男になっていた。
自分が認めたことしか受け入れず、得意分野には一生懸命だが、苦手なことはすべて私に押し付けて来た。
接触する機会が増え、幼いころの兄弟関係がよみがえり、強いストレスとなって私を苦しめ始めた。
そして兄に意見をしたことで、容赦なく攻撃されるようになってしまった。
毎日毎日、命令口調で寄越す指示が恐ろしく、想像しただけで頭がおかしくなりそうになった。
もうこのままでは限界だと、再びいまぷさんを訪ねた。
兄が怖いんですと。
1度目に訪ねた時、兄と私は父の職業の被害者であり、デブ同盟だと言われ、その時は納得した。
そしてやりたい事をやって下さいと再び。
その後、夫に引っ越ししたい事や、仕事の事を打ち明けた。
が、いつもの如く水を差され、何も言えなくなった。
それに加え、兄の攻撃が更に勢いを増し、やはり耐えられず、再度いまぷさんを訪ねる事になってしまった。
以前同様、質疑応答を繰り返す中で、急にしまい込んで、どうしても言えなかった我が家の特殊事情を打ち明ける気になった。
それを吐き出した瞬間、空気が変わった気がした。
なぜ嫌な事に嫌だと言えないのか。
なぜ夫に気を使うのか。
なぜ兄は攻撃的なのか。
やはり父の職業と、家が属している世界の特殊さ故だった。
小さい時に植え付けられた思想が、全ての原因だった。
父と母が忙しかったのも、私と兄がデブになってしまったのも、やりたい事が出来なくなってしまったのも、全部、全部そのせいだったんだ。
そして兄は、私だけがデブ同盟を解消することを、全力で阻止しようとしているのだと思い始めた。
もはや、過去が解消出来ない哀れな男にしか思えなくなって来た。
そして夫にもっと甘えても良いんだと、素直な気持ちになった。
頭の芯がジンジンと熱くなってくる。
喉もギュッとなって苦しい。
頑丈な蓋が張り付いて、声を出すことが出来ない。
でももう限界なんだ。
「私を守って欲しい」
そう夫に伝えた。
「あれ、どうなってるんや!報告しろ!」
今朝もまた、兄がLINEを寄越している。
少しどんよりとした気分になる。
でも今日は、母親に「外に行かないでくれ!」と懇願する、家の中でしか王様になれない兄の叫びのように思える。
夫はいま、兄の攻撃の矢面に立ってくれている。
きっと矢を放っても、盾が柔らかすぎて兄の調子も狂っているはずだ。
まだ少し申し訳ないな。と夫に思うこともある。
でも、一人で戦わなくていいんだ。
甘える事はこんなに楽なんだ。
この感覚を味わってしまった。
ちっちゃいちゃん、一人でよく頑張った来たね。
でももう兄が、あなたを攻撃しても平気だよ。
ちゃんと守ってくれる人がいる。
デブ同盟も解消だ。
きっともうお外もこわくない。
さぁ、いまから何をしようか?
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