世の中にはもっとたいへんな人がいくらでもいるんだから
このフレーズだけは絶対に言わないぞ、と自分を戒めています。
人によってキャパはそれぞれだし、いらんビリーフでガチガチになってたら尚更のこと。
世の中にはもっとたいへんな人がいる、と言われて、
なんだ、私の悩みなんてたいしたことないんだ、って思えたらいいですが、
この程度のことで凹んでいるダメな私、となってしまうとエラいことです。
頑張れ、という言葉同様、うかつに使ってはいけないと思います。
自分に投げかけられた問題を、よそに丸投げしてることになっちゃうんじゃないかな、と。
ま、抱えきれない時もありますけどね。
- 作者: チャック・スペザーノ,大空夢湧子
- 出版社/メーカー: ヴォイス
- 発売日: 2000/01/01
- メディア: 単行本
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このカードについて書くの3回目です、旧アカウントで書いてました。ハードディスクの中さがしたら残ってたので再掲。
※再掲部開始
皆さんご存知のように(知らんか)この本も私のバイブルです。
- 作者: 奥薗壽子
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2003/05/01
- メディア: 単行本
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短時間睡眠を目指していたのでその参考になるかと手にとったのですが、(ちなみに、今はもうあきらめた)
それ以上に得るものが多かった本でした。いつもニコニコ奥薗壽子がこんな人生歩んでたなんてねー。
昨日も久々に読み返していたのですが、これってセラピーカードの「復讐」ぢゃん、と思える部分がありました。
奥薗壽子は料理研究家への道を目指して、離婚して東京に行くべきかどうかの選択をせまられていました。
周囲は猛反対です、不安もあります。
過去をふりかえって、大学卒業の時に役者になりたくて東京に行こうと思っていたのに、
家族からの反対でそれを断念したことが思い出されました。
あの時東京に行っていたら、という思いにずっと苦しめられることになったそうです。
「もしも、あの時」ということに逃げこみ、東京に行けなかったことを人のせいにしては
自分をかわいそうな人に仕立て上げることで、なんとか自分を慰めていたのです。
これこれ、これですよっ、「復讐」のカードが言わんとしていることは。
自分が今ある不本意なことの原因を過去に押し付ける。
この章のタイトルは「”もしも”を引きずって生きるのはやめる」とあります。
ここでの結論は、やらない後悔よりやった後悔、だから言い訳せずに行動しよう、ということなのですが、
奥薗壽子のように気持ちの切り替えができかった場合は、東京行きを反対した親を恨んで、
その親への復讐のために自分に本意な人生を歩ませないこととなるのです。
じゃあどうすればいいか。
この場合は、東京行きをあきらめた事は親から強いられたものではなくて、
あくまで自分の選択であった、と受け入れること。
そして、過去にやりたいようにやれなかったかわりに、これからは不本意でない選択を続けていくこと。
これだけです。
長いですけど旧アカウントで書いたものはこちら(旧アカウントはいずれ削除しますゆえ)
*
許しのとこにも書きましたが、っつか、しょっちゅう使ってる例えなのですけど、親を恨む子どもの図式です。
もう皆様にはおなじみでしょうか、親を恨んでいると、親への復讐として自分を幸せにしない、というやつです。
ここで親への恨みの自覚がある人はいいのです。私は親を恨んでるよ!とはっきり言える人はいいのです。
困るのは、私は恨んでなんかいないわ、と言う人。
まあ、恨み、とか、復讐、という言葉の持つおどろおどろしいイメージのせいもありますが、
(このカードを引かれたら、たいていの方が ”ええええ!”って顔をなさるのですよね)
私が人を恨むだなんて、
オレが復讐だなんて、
と、たとえ恨みや復讐という言葉がふさわしい感情は無いとしても、恨みや復讐の原因となったことについてまで、
そのことで自分が受けたダメージまで否定したり抑え込むことになっては困るのですよねー。
抑え込んだらロクなことないですからねー。いとも簡単に罪悪感へと転がります。
チャック・スペザーノはこう書いています。
「私がこんな目にあったのは、あなたのせいだ。
あなたがもっと私を愛してくれたら、
もっと大切に扱ってくれたなら、
助けてくれたら、
私をあんなにひどく扱わなかったら、
こんなことは起きなかったはず」
最大の復讐は幸せになることだ、と誰かが書いてましたけど、
ほんと、見返す(?)ためには幸せになってやればいいんですよ。
でも幸せになっちゃうと、自分の受けたダメージを見せつけてやれなくなる、
なんか損しちゃう、って思っちゃうことが大きいようですね。
たとえば男に捨てられたなら、違う人とくっついて、おもっきし幸せになればいいのですよ。
私なんて今はこ〜んなに幸せよ、オーホッホッホッ!と、高笑いしてやればいいのですよ。
それが出来ない。
自分のダメージを手放せないから。可哀想な自分を大切に持ち続けていたいから。
ダメージを見せつけることで、手を差し伸べて欲しいから。
つまり欲しいものは手を差し伸べられることなのです。それも、ダメージをくらわせてくれた相手から。
ほかの人がいくら手を差し伸べても受け取りたくありません。だって、それは望むものとは違うから。
相手が生きてるならまだいいですよ、死んでしまってたらその復讐心が満たされることはあり得ません。
では、どうするか。これはもう、許して手放すしかありません。
あ、もちろん気付いていただくということが大前提です。
注)許すのは相手ではなく恨んでいた自分
復讐のカードをひいて、意味の説明をしたら涙をボロボロとこぼされた方が何人もいらっしゃいましたよ。
たしかに私は恨んでいた、と。こんなに助けて欲しかったのに、と。
過去ではなく、今、現在も同じ問題に悩まされている、という方は、
過去に差し出されなかった救いの手を今、同じ現象を引き寄せることで受け取りたい、と思っているのです。
欲しいものが救いの手であるなら、救いの手が必要な状況に自分を置いてしまうのはいた仕方ないことで。
*
読み返してみると、たかだか数ヶ月前に書いたものなのに、なんか青臭いぞ〜。
※再掲部、終わり
んー、こんなこと書いてたのか。やっぱ残しておくもんですな。
ここんとこしてる復讐のカードの説明はですね、
過去に文句を言い続けたいがために今の自分を幸せにしない、です。
幸せになってしまうと、文句が言えなくなるから。文句を言い足りてないから。
じゃあ、どうすればいいのか。
文句、言い切ったらいいんですよ。言いたかったのに言えなかったこと、出し切ったら終了です。
その文句、恨みつらみだけではありません。
例えば
おかあさんが私のことかまってくれなかった
↓
かまって欲しかった
↓
おかあさん、私のことかまって
↓
私のことかまってくれないおかあさんなんて嫌いだ
↓
なんでかまって欲しいの?
↓
だっておかあさんスキだもの
↓
おかあさん、大好き
往々にしてほんとに言いたかった言葉は「おかあさん、大好き」だったりします。
ここでうっかり「おかあさん嫌い」で止めてしまってると、
ほんとに出すべき「おかあさん大好き」が残ったまんまなので、復讐終了となりません。
人の根っこにあるものは、好き、ってキレイな気持ちなんだと思いますよ。
自分の中にあるキレイなものの存在に気付いてくださいね。
ちなみに、自殺は最大の復讐だと思ってオリます。