おかあさんが私と同い年というクラスメート(女子)が、「ラムチョップのTシャツ好きなんですよー、また着てきてくださいよ」というので、昨日はこのTシャツを着て学校に行きました。
ラムチョップおいしいよね、という話をしていたら、ひとりの女子が「ラムチョップってなに?」と言うのです。ラム肉のお料理で手羽先みたいなやつ、と説明した私を許してください。
そこでその女子は初めて気がついたようで、「このTシャツってそれと(どれ?)ひっかけてるんだ!」と。
そうですよね、このTシャツにはどこにも「ラム」って書いてませんものね。空手チョップとラムチョップをかけているんですけど、その女子は空手チョップすら知らなくて、だったらこのTシャツの意味が全然わかってなかったってことですよね。
これが「教養」です。教養とは初対面の人と政治や宗教に関係ない話を30分以上するために必要なものらしいですが、ラムチョップという料理と空手チョップを知っていればこのTシャツを見て会話が成立するのです。知らなかったら羊っておいしいよね、という話にはならないのです。
以上、長い前振りでした。
本日の参考ツイート
https://twitter.com/leafullm_n/status/1009620509477167105
あなたがラム肉だとしましょう。
あなたの味が嫌いだという人がいます。
その人に合わせて自分の味を変えてしまったら、ラム肉が好きな人はあなたを見つけられないのです。
ラム肉を本当に好きな人に、ラム肉というあなたを食べて貰えないのです、ラム肉好きな人はあなたを食べれないのです。
ラム肉である自分を誇ってください。ラム肉の良さをわからない人に合わせて、わざわざ自分を変える必要はないのです。
鉄板参考エントリー:あなたがジグソーパズルのピースだとしたら?