一世を風靡した大ヒット漫画
どちらも映画化アニメ化ドラマ化されました。
そんだけ売れたってことです。
「もやしもん」は農大が舞台です。
菌が見える特殊能力をもった沢木が入学してきて、学内がスったもんだします。
「ハチミツとクローバー」通称「ハチクロ」は美大が舞台です。
入学前に数多の賞をとった天才少女ハグちゃんが入学してきて、学内がスったもんだします。
そう、農大と美大。
これに「のだめ」の音大、えーと体大ってなんかあったっけ?思いつかないや。
獣医学部の「動物のお医者さん」と、専門性の高い大学学部を舞台にした漫画が百花繚乱でしたね。
向き不向きが強く出る学部群だと思います。努力ではどうにもならない天賦の才も。
そう、「もやしもん」と「ハチクロ」は才能をもった人の物語なのです。
いえ、そうではありません(どっちやねん。
才能を持った人と、そうでない人、それぞれの葛藤の物語です。
ちなみに作者が「ハチクロ」の続きであると公言したのは「3月のライオン」。
こちらは将棋の世界が舞台です。とても過酷な物語です。
羽海野チカの絵柄がキュートなために、ハチクロもただのラブコメみたいに勘違いされがちなのですが、才能を持つ人の上を目指す足掻きと、才能がない人の諦め、そういったものがシビアに描かれています。
Twitterのフォロワーさんが「最近もやしもんにハマってる、おもしろい」とTweetされているのを見て、久々に読み返しました。
そうそう、以前読んだ時にも引っかかったことあったんだ、と思い出しました。これはちゃんと書かなくてはいけない機会なのか。
菌が見えるという特殊能力の持ち主、沢木、彼の能力は学内で引っ張りだこです。研究に活かそうとする教授、一発当てようとする先輩、引く手数多なんですが。
が。
ある日、沢木はその能力を失います。
菌が見えないあんたに用はないわ、と明言する先輩。
そしてハチクロ 。
小さな体にものすごい才能という巨大エンジンを搭載したハグちゃん、当然のように時々バグを起こします。
ハグちゃんに一目惚れした竹本は、ハグちゃんをいたわります、創作より体が大事だよ、と。
しかし、やはりハグちゃんの才能に一目惚れした森田は、創作しないハグなんてハグじゃない!とハグを創作に押し出そう押し出そうとします。
ここで大きなポイント、森田はハグと同様才能あふるる人で、竹本は才気あふるるというタイプではないのです。
創作することができなくなったら、ハグに魅力はなくなるのか。
もやしもん、ハチクロ 共に、繋がるきっかけとなった「才能」がなくなったら、繋がりは途絶えてしまうのか?ということを考えさせられました。
ネタバレするならば、両作とも、才能がきっかけで繋がった関係は途絶えません、さらに強い結びつきとなっています。
では才能がなくなった後も(無くなってないんだけどさ)関係を繋ぎ留めているものは何なのか。
才能はね、あくまできっかけ、手段でしかなかったのです。
本当の目的とは、自分の思いをすくいとってもらえること。
沢木もハグちゃんも、その能力/才能ゆえに排除されることを味わっています。
沢木やハグちゃんの才能を認めた人たちは、そのことによって沢木とハグちゃんの排除されていた痛みをすくいとったのです。
当人たちにその意識はなかったでしょうけれど、沢木やハグちゃんの学内の人々は、両者を救ったのです。
そして!
ここからが大切なとこですよ!!
沢木やハグちゃんを救ったことで、救った人たちも救われたのです。
沢木の菌が見える能力を目当てに沢木に関わった人たちは、知らずのうちに沢木を救ったことで自分も救われたのです。自分を苦しめていた何かから(人、それぞれだ。
ハグちゃんの創造の才能を認めた人たちは、居場所がなかったハグちゃんにそれを与えることで、自分自身も救われたのです。それを、芸術は人を救う、と言ってもいいでしょう。
救われたから、自分を救ったものとの縁を切るなんてしない。
たとえ、自分を救った手段が無くなったとしても。
救われたという事実は変わらない。
繋がりは途絶えない。
実はこの結論、書きながら出てきたものでした。
人は救いあってるんですよ、すごくない?
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
焼きそばパン買ってこいよ!とジャイアンから言われたら、あなたはどうしますか?
箸が転がっても、私のせいだ、とか思ってませんか?