今朝の中日新聞。非常に興味深い研究報告。体罰で前頭前野が萎縮、暴言で聴覚野が萎縮、DV目撃で視覚野が萎縮。「愛のむちゼロ作戦」を推進。 pic.twitter.com/U01GGEf1ZU
— 長谷川博一 (@hanycafe) March 6, 2018
暴力、暴言、怖いですよねー。言葉の暴力といいますように、暴言も立派な暴力ですよねー。
暴力にはいろんな形があって、わかりやすいものはいいんですが(よくないけどさ)わかりにくいものは暴力をふるってる人も暴力をふるわれている人にもその自覚がないことが多いので、そのダメージからの回復がより難しいことが多いです。
ちょっと違うけどこんなんもあります。
虐待を受けることだけが傷つくことではない
何かされてなきゃイヤだと思っちゃいけないわけじゃない
私の経験則では、多弁って先制攻撃であることが多いです、相手の口をふさぐための。饒舌は銀、沈黙は金、っていいますやん(違うか。
多弁という鎧の下に隠されたもの、ちらほら見えますよねー。
多弁は量ですが、質で相手の口を閉ざさせる類の発言もあります。なんか言われて、うっ、となってしまうもの、反論できないもの。
それがなにかというと、嫌味とか皮肉とか茶化すとか。ま、そういったことが得意な方は往々にしてジョイキラーであることが多いです。多いですよね。
あなたの周りにもいませんか、ジョイキラー。人の喜びに水を差す人。
本日の朝日新聞です。
(視界良考)松田青子さんと @東京ガールズコレクション
嫌味、皮肉、茶々入れとは相手の尊厳を傷つけるもの。自分の大切なものを損なわれたことに対しては断固として抗議をすればいいのですが、暴言と違ってその悪意がわかりにくいものに対しては抗議の声もあげにくいです。
ダメージはただ積もり積もっていきます。
わかりにくい暴言は、人を堕とすことによって自分をあげる、というマウント行為以外の何物でもありません。
逆にですね、自虐とはは、相手の攻撃にやられる前に自分をやっちゃう、という、過去に堕とされた痛みから自分を守るための行為です。
貶められたことに反論できなかった痛みは、確実にあなたの中に残っています。あなたは傷ついているのです。
わかりやすい暴力ではなかったとしても。
相手の心情によりそうことが得意な人は、マウント行為を行う人の心の痛みにも気づいてしまうのですが、相手のことを慮る前に自分のことをカワイソがってあげてくださいよ!!
ヨシヨシはなにより自分に対して行うことが必要なのですからね。
自分をヨシヨシする前に他者をかわいそがらないでくださいね!!
おっと、カワイソがらなくてはいけないのは自分ではなかった(どっちやねん。
ちっちゃいちゃんです、傷ついても声をあげることができなかった過去のあなたです。ずっと痛みを抱えてきたちっちゃいちゃん、その声に耳を傾けてあげてください。
そして、丶(・ω・`) ヨシヨシ を。
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傷官8割持ちという生物兵器の私の母、彼女の言葉にもたいがいやられましたが、それよりきつかったのは母の姉である叔母。彼女の人生を思えば、それはそれは報われないものでありました。自分が傷ついてたら、人に優しくなんてできないよね。欲しかったものは相手に与えることによって自分が得たことになる理論でいけば、優しくしてもらえなかった人ほど人に優しくなれるっていうことなんでしょうけど、そこで優しくしなきゃいけない、優しくなれない自分はダメだ、ってとこに陥っちゃダメよ、ダメ、ダメ〜(死語。