今日はママンの命日でして、うっかり忘れてましてね!
いえ、憶えてても別に何かするわけじゃないんですが(冷たいですか、そうですか。
手帳の年間予定のとこに記入してあって、そうや、そうや、今日だった、と。
※元配の命日も忘れがち
ま、明日になってから気付くよりマシか(マシという程度。
やっぱ気づいたら、モヤモヤしましてね。
いったい、あれやこれやは何だったんだろうな。
積読だった本を消化にかかりました。
家にも学校にも居場所のなかった著者が、ふとしたきっかけで繋がった修道院で祈りのなんたるかに目覚める場面がありまして。
ミルフィーユのように幾層にもなった言葉、その合間に潜んでいる感情、層をはぐってはぐって、全く思いも寄らなかったものに気づかされる工程、それが祈りかと私なりに理解しました。
で、いつもの長考、掘り下げ作業にはいりました。
何十年ものの解決できないやる気のなさ、持て余す黒タママ、なんなん、これ、と天を仰ぎみます。
※自分のことはどうやって解決するのですか、と質問をいただいたので、その回答のようなもんです。
みなさんご存知のように(知らんか)私は妬み嫉みがひどいです。
嫉妬するのは自分の方が優ってるって思ってるからだそうですが、評価されてる人が目に入ったら「私だって」っていちいち思うのですよ。
私の宿敵ともいえる身体を触る人たち(もちろん向こうからは歯牙にもかけられていない)、患者さんの悩みが解決するなら、どんな手段だっていいはずなのに、私が治すんじゃないとイヤなんですよ。
私以外の誰かが治すのはイヤなんですよ。私が治したいのです、私が解決したいのです。
この「私が、私が」ってエゴも持て余すよな、と思ったら、そうか、そんなにもママンのこと治したかったんだよな、となりました。
その底には当然、「あんたを産んだせいで病気になった」という痛みがあります。
以前だったら「あんたを産んだせいで、って言われて辛かったよね」となったのですが、今日は「治したかったよね」が勝りました。
みなさんご存知のように(知らんか)、穴ぼことは「欲しかったものを欲しかった時に欲しかった人から貰えなかった欠落感」を示します。
どうひっくり返っても、それはもう手に入らない。
穴ぼこは埋まりっこない。
あーあ、とため息です。
あーあ
仕方ないよねえ、どうにもならんよねえ、でも、治したかったよねえ
すると「治したかったということを、わかって欲しかった」と出てきました。
治したかったんじゃないんです、治したかったとわかって欲しいのです。
※わかって欲しかった、ではないことに注意
いえ、わかって欲しくありません(どっちやねん。
ママンに「治したかった」とわかってなど貰えません、わかって欲しいとも思いません。
私がわかって欲しいのは、綴っている駄文を読んでくださっている皆さんなのです。
ということが、わかりました。
こんな風に凹んで、こんな風にダメージ受けて、こんな風に拗らせて。
ちっちゃいちゃんが、どーせどーせ、って背中を向けてる。
「生きづらい」とかって手垢のついた言葉で表現するしかない状態は、これなんじゃないかな、と。
やっぱね、ちっちゃいちゃんの言葉に耳を傾けていただきたい。
拗ねて背を向けてるちっちゃいちゃんの背中を撫でてあげて欲しい。
世界の思い通りにならなさに絶望しかけてるなら、手を差し伸べてあげて欲しい。
しんどいよね、しんどいのに、よく生きてきたよね、って。
命を断つという選択肢もあっただろうに、それをなさらずに生きながらえてコネクトロンにお越しくださったこと、なんたるギフトか。
転んで倒れたとこ、背中から踏みつけられるということもあったでしょう。
でも。
よく、生きてきたよね。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
これからも、生きていこうね。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
丶(・ω・`) ヨシヨシ
これを「今庄ホテル」の最終回といたします。未読の方は読者登録していただけると喜びます。