滝に通いだして37日目。
iPodも壊れてしまったし、行き帰りは何かを聞きながらということもなく、noteに書くネタ探しでひたすらキョロキョロしております。
いえ、していません(どっちやねん。
コロナを言い訳とした廃人モードからそろそろ脱却せねばなりません。サイトも順調にステキになっているし、事務所の模様替えもしました!
サイトが完成したら、祝宴を開きたいです!コネクトロンの今後についてあーでもないこーでもないと考えながらの滝通いです。
で。
こちらでも触れましたように
https://connectron.jp/%e6%b0%97%e3%81%a5%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%89/
業病マウント癖がなかなか克服できなくてですねー。いらんこと言わんように、脊髄反射で発言することは極力控えているのですが、沸き起こってくる感情は止められないのですよ。
ほんとうんざりしちゃってですね、なんで私はこんなんだろう、いつからなんだろう、と考えると思い当たる記憶はいくつかあるのです。
コネクトロンのフルセッションを受けてくださった方はおわかりでしょうけれど、トランスに入ったら思いがけないものが出てきますよね。
私は自分以外からそれをして貰うことができないので、ひとりせっせと記憶を掘り起こす作業をしています。
マウント癖とセットなのは妬み嫉み。はい、黒タママを形成する重要な要素です。
この黒タママ要素も私は非常に持て余しておりまして、なにがトリガーになるかわからない、なんてことないものを目撃したがゆえに黒いものが発生しちゃって、自分が毒ガス製造機かなんかになったような気がします。
ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉と同じように(同じなのか?)、人は毒ガス製造機に生まれるのではない、毒ガス製造機になるのだ、ですよ。毒ガス製造機にさせられてしまうのですよ。
なんで私は毒ガス製造機になっちゃったんだろ、と考えながら歩いていると。
と。
突然、思い出した光景。
小学校低学年の頃でしょうか、母の長姉が「息子(つまり私の従兄弟)が釘が刺さって怪我をした」みたいな話を私にしたのですよ。
いかにも痛そうな話だったのでしょうか、私は「ぞわっ」と言って寒気を感じたことを訴えたつもりだったのですが。
が。
「”ざま”ってなに?”ざま”って?なんちゅうひどい子やがね(高岡弁)」と、”ざまあみろ”と言ったように曲解されてしまったのです。
これを思い出した瞬間、涙腺が決壊しましてね!
滝の帰り朝のランニングや散歩の人が行き交う中、泣きながら歩くわけにもいかず、タオルで顔を隠しながら、考えろ、考えろ、なんで涙腺決壊しちゃったんだ、なにがひっかかったんだ。
・従兄弟を心配したつもりだったのに伝わらなかった
・私が”ざまあみろ”と言うような子だと認識されていた
では、この2点のために私はどうなってしまったか。
私のマウント癖・黒タママ病の原因をこの2つとするために、ストーリーをでっちあげることにしました。
セッション中トランスで出てきた記憶に対して、事実ではないかもしれない、記憶の捏造かもしれない、と言われる方も多いですが、出てきたものには意味がある。
・心配が伝わらなかった➡︎あきらめ➡︎もう心配なんかしないやい!
・”ざまあみろ”と言うような子だと思われた➡︎どうせ私はそんな人間だよ!
と、叔母から与えられた「人の心配をしないどころか人の不幸を喜ぶ子」という役割を引き受けてしまったわけです。
人の心配をしないどころか不幸を喜ぶ子
おお!いま書いててめっちゃ納得です。
これこそがまさにマウントで黒タママで毒ガス製造機です。
自分の性格の悪さをおばさんの”せい”にする気かよ、とおっしゃるそこのあなた。
ええ、しますとも。
だって私と同じように毒ガス製造機であることを苦になさっている人がいるとするなら、その方が背負っている罪悪感は、罪のもとは、実は他所にあったんだ、実はあなたは悪くないんだよ、ということでしか手放せないではないですか。
鶏が先か卵が先か、毒ガス製造機をやめるには、毒ガス製造機でなかった本来の自分を取り戻すことが有効です。
そして。
毒ガス製造機にさせられちゃってイヤだったよね。
それが今朝の私の涙の正体です。
あなたにも、私にも
丶(・ω・`) ヨシヨシ