ちょっと聞いてよ!昨夜からの私

TODAY'S CONTENTS

01:お断り
02:明日は京都です♪
03:いのちの電話講習会
04:バーでの出来事
05:新井紀子のメディア私評
06:感染者を責める私たち
07:日陰者
08:カタツムリ
09:まとめ
10:10月いっぱい30分無料

01:お断り

今朝からモヤるものがあり、ちゃんとブログにしたいなと思うのですが、どうにもまとまりません。まとまるのを待っていてはせっかく浮かんだ考えの芽を摘んでしまうようで勿体無い。毎度読みにくく、おまけに長くて申し訳ありませんが、私のアウトプットにお付き合い頂けると喜びます。

02:明日は京都です♪

今年、私に最大のパラダイムシフトをもたらしたのは浅田すぐるさん(敬称つき)。その浅田さんの(どの?)セミナーが明日京都で開催されるのです!生(なま)浅田さんに会える!!肉声が聞ける!!同じ空気を吸える!!何、着ていこう(違。

浅田さんに教えられた最大の気づきは、「モヤるのは理(ことわり)が成立していないから」ということです。浅田さんがこんなふうに言ってるわけではありません。私が浅田さんのアウトプットからまとめたものです。

コネクトロンでいつもやってる「風が吹けば桶屋が儲かる」、この風から桶屋の流れに筋が通ってないとモヤるのです。

モヤることにちょっと神経質になりすぎてしまった感がありますが、モヤを放置しない、解消するために考え抜くことが習慣になりつつあります。

03:いのちの電話講習会

昨日は2回目の講習でした。

標題に「その関係性へのおもい」とありますが、なぜ関係性が問題かというと、虐待とはひとりでは成立しないからだそうです。

そりゃそうだ、虐待する人、される人、周囲にいる人、といろんな人が登場しますものね。

タメになること、疑問に思うこと、色々だったのですが、最も膝の皿割だったのは「人は相談できない」ということでした。

とある児童相談所(いわゆる児相)、名称を「家庭センター」にしたら利用率が倍増したそうです。相談してね、って言ってもしてくれないもんなんだそうです。

これ⬇︎ダメですよね!

これは虐待を受けている子供がいかに救いの声を上げることができないかということの説明で言われたことです。相談してね♪と言葉をかければ来てもらえるものと思っていましたが、そこでアクションを起こせる人はよほど追い詰められた状態でしょうから、そうなる前の段階で悩みや問題を吐き出しやすくする手段を考えなくてはいけないな、と思わされました。

そうも出せないものか、アウトプットってほんと大変だな。

自分のことわかってくれない、というお悩みもありますが、側の人は出されたものでしか判断できない。出してなかったらそりゃーわからんよな。

わかって欲しいように自分を出すって大切だよな。わかって貰いたいように自分を出せるようになることが必要だよな。

っつか、やっぱ重要なのは「なぜ出せなくなったか」だよな。

出せなくなった人には当然痛みがあるはず。ヨシヨシ案件。そう思ったところに、モヤったもの。

虐待の事例の紹介の後で、「子供には立ち直る力がある」と言われました。

そして講座の最後に、手入れもされずに咲いている花の画像を表示されました。強さの象徴のようです。

もちろんその強さは未来への希望に繋がるものなのでしょうけれど、ま、短時間の講座だから仕方ないですが、ヨシヨシが足りてないように感じたゆえのモヤだったようです。

なんと、「おーヨシヨシ」なるものが紹介され、「ヨシヨシはコネクトロンの登録商標です!」と叫びたくなりましたよ。

04:バーでの出来事

講座の帰り、バーに寄りました。立ち寄ったバーは⬇︎こちら。

https://connectron.jp/20160321-1458510850/

先客の女性が2名、店内にはタンゴの曲が流れています。珍しいな、タンゴなんて。

1名が離脱、2人一緒じゃなかったのね。残った女性がタンゴの蘊蓄を語っています。

いま流れてるタンゴのCD、あなたのですね?ここでタンゴかかってるって珍しいなと思ってたんです、と声をかけました。

そこから会話が始り、小1時間、話のキャッチボールが続きました。

関西に来た当初、初対面の30分で自分の過去を語り尽くすという芸風(?)の方に立て続けに出会い、関西におけるコミュニケーションとは始めに自己開示ありきか!と慄いたものでした。

これはPTAでも同じでしたが、とにかく自分のことを喋る。もとい。自分のことしか喋らない。

女の話ってのは会話じゃなくて互いに自分のこと喋ってるだけだ、と正鵠を突いた男性がおりましたが、あまり強く否定できません。

自己開示は拝聴するという形式になるので、会話による情報獲得量に差が出ます。そう、私は相手のことを知ることができますが、相手は私がどんな人かわからんのですよ。

女性のために開けられたワインの残りを私が片付けるという形になり、ワインがなくなったところで店を辞しました。

バーでの会話を思い出し、なんでキャッチボールうまくいったのかな。

そもそもタンゴって認識できなかったら始まらなかったよな。

うん、初対面の人と話を15分続けるためのもの、それが教養、まさにその通り。

そして彼女の人柄というか、屈託の無さが心地よかったです。

ああいうのを(どう?)育ちがいいっていうんだろうな、そうか、屈託がないってのはジャッジがないんだな、と思い至りました。

卑屈も傲慢もジャッジをしてる、だからその気配を醸し出されると居心地が悪いのだな。

ジャッジ絶許!ジャッジはマウントの元!ほんま気をつけよう。

05:新井紀子のメディア私評

今日の朝日新聞朝刊

新井紀子さんが小学生向けに新聞記事をリライトすることについて書かれていました。いかに小学生に正確に伝わる文章にすべきか、でも実際はおかしい文章がいっぱいある、と。

例として挙げられていた文章、確かに読んだらおかしいのですよ。

でも。

指摘されるまで何がおかしいのか気付きませんでした。

いえ、気づいています(どっちやねん。

何がおかしいかは具体的にしていないけれど、おかしいということだけは感じる。これがモヤるかな、と。

モヤっている状態って意識してなくても実はすごく多いのではないかと思わされました。

このモヤを放置していると、伝わらない伝言ゲームを延々と続けることになってしまうのではないでしょうか。

感じたことの言語化大切。

06:感染者を責める私たち

新井紀子さんの記事の上にあったもの

これで⬆︎ブレイクした方ですね。読んだ方もいらっしゃるのでは?

著書を検索していて、以前に読みたいなと思って手を出さずにいた本の著者さんであったことがわかりました。

どうも鬱界(なに、それ)で旬の方のようです。早速ポチりました。

この記事のメインは「迷惑かけていいんだよ」なんですが、つまり何をもって「迷惑」とするか、その「迷惑」の範囲がすごく広くなってしまい互いが自粛しあって身動き取れなくなってしまっている状態のようです。

迷惑と思わされるということは、そこに「非難」があったということです。非難された痛み。

会話をすれば唾も飛ぶ。その唾が感染の原因になるなんて、人のコミュニケーションを潰すために現れたかのようなコロナですね。

07:日陰者

とある方のツイートが目に入りました、お買い物をされたようです。買われたものはとあるゲームに関係するものでした。私がその方がそのゲームが好きであると知ったのはわりと最近のことです。それまでは、そのゲームについて触れられたことはなかったのです。

ツイッター上でゲームについて言及される機会が増えていきましたが、それを目にするたび、思いの強さに驚くのです。

ほんまに好きなんやな、と。

こんだけ好きなのに、なんで今まで全然言わんかったんやろうな、と。

私に言うのが嫌だったの????(被害妄想

言ってるつもりだったんですけどね、と仰いました。

しかし。

被害妄想の沼に足を突っ込んだ私は譲りません、言いたくないから無意識のうちに言わなかったんじゃないの????

確かに、そのゲームから距離を置いていたのは原因があったそうです、それも心が痛むこと。

ヨシヨシ案件放置禁止!!

納得できました。

心が痛むことがあった故に触れていなかったのであれば納得です。

でも。

もしも、そんなにも好きだという気持ちを出していなかったのだとすると、そっちの方が怖いよな、と思ったのでした。

好きなものは好きと言おう。

こんなの好きって言ったら笑われるかな、とか他者からのジャッジを気にすることは、あなたの大切なものを日陰者にすることですから。

08:カタツムリ

滝詣、今朝で連続58日です。

雨が降ったせいか道にはカタツムリがいっぱいでした(いっぱい、って一匹しか写ってへんっちゅうねん!

実はカタツムリ好きなんです。連れて帰りたい気持ちを必死で抑えました!

カタツムリの画像を某所にアップしたところ、それを見た方から「最近、この種類のカタツムリ見ないんですよね」とコメントが。

試しに検索したところ、これにたどり着きました。

岐阜県で特定のカタツムリが姿を消しているという、まさにこの現象についてコメントくださった方は言及されていたのです。

カタツムリの画像をアップしなかったらあ、岐阜でナミマイマイが存続危機であるなど知る機会はなかったでしょう(それが何の役に立つんだ、ということは別の問題で)。

ささやかなアウトプットが世界を広げてくれたと言っては大袈裟ですか、そうですか。

09:まとめ

長々とお付き合いくださりありがとうございました。

いのちの電話の講座受講から始まって、一貫してどうもアウトプットにまつわるものに目が留まったように感じます。アウトプットはいわばキャッチボールでまず自分からボールを投げること。

どんなボールが返ってくるか、返ってこないかもしれないけど、投げたボールは次の何かを引っ張ってきてくれることでしょう。

10:10月いっぱい30分無料

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