先日の献血ルームで。
100人いたら99人が「おしゃれ番長」と認定するであろう、オシャレな女性が無料リーディングを利用してくださいました。
お悩みは「もっと、ちゃんとしたい」とのこと。
「ちゃんと」とは?
お仕事の内容に変化があり、以前より時間に余裕ができてしまった。
その時間を持て余し気味で、「もっと、ちゃんとしたい」と思っていらっしゃるとのこと。
あまりのおしゃれさに、てっきり「そういう」お仕事かと思いきや、親御さんの敷かれた「無難で堅実」なレールを歩んでこられたとのこと。
「ほんとはファッションに関わる仕事がしたかったんですけどね」
時間があるんだったら、やりたいことしたらいいじゃないですか。
「だって、今更、すごいデザイナーとかになれるわけじゃないし」
出た!
これ、これ。
アート/クリエイター系の方に、この手の発言が非常に多いのです。
好きな何かをやるには、すごいデザイナーにならなくてはならない
すごいアーティストや作家になれないなら、好きなことをやっては行けない
好きなことをやるなら、それで食っていかなくてはならない
この思い込みで、自分と自分の好きなことを切り離そうとする方の多いことよ。
野球をやる人みんながみんな、大谷を目指していますか。
すごいデザイナーになるのでなければ、好きなことをやってはいけない。
この考えに囚われてる方って、自分の作った作品を愛することができてないのですよ。
私の作品、イカす!
俺の作品、見てみろよ!
こんなふうに、自分の作品に親バカできてないのです。
私の作品なんてどうせ
俺の作品なんか見せられない
こんな風に、自分の大切な子供である作品をdisってるような状態です。
「作ることが好き」という自分の気持ちよりも、外部からどのように評価されてしまうか、そっちに気持ちが行ってしまっているのです。
自分の「好き」という気持ちを最優先できていない。
そうなってしまったのはなぜか、お分かりですね?
そう、育った環境においてご自分の「好き」を認めてもらえなかったからです。
〇〇ちゃんの方が上手じゃない
それでプロになれるの?
そんなもので食っていけないだろう
等々
あなたの「好き」は育つことを許されなかったのです。
見て、見て!こんなに可愛く作れた!!
ほら、ほら!我ながら上手くできたと思うんだけど?
そんなふうに、自分の作品を誇る気持ちを受け入れて貰えなかったのです。
まあ、ほんとに可愛い❤️
あなたが作るものはいつも素敵ね
おお、やるじゃないか
好きなように作れよ
こんなふうに受け止めてもらえていたなら。
あなたは自分の作品に対して躊躇なく、親バカをすることができていたでしょう。
親バカをしてもらえていたなら。
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ご自分の「好き」をどうか手放さないでくださいとお願いしました。
好きという気持ちを持ち続けてください、と。
それはいわば種火のようなもの。
灯火を大きくしてくれる風が吹いたなら、大きく燃え盛ることができるでしょう。
大きな炎でなくても、あなたはもちろん、誰かの心を照らし続けるほのかな灯りを灯し続けてくれることでしょう。
何かを照らしてくれる、そんな尊いお仕事をしてくれるあなたの大切な「好き」を、どうぞ親バカしてあげてください。
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専門学校にでも行かないとダメかと思っていたけど、素人さん向けの洋裁教室にでも行ってみようかと思います。
作ってみたい服、たくさんあるんです。
そう明るく言ってくださいました。
↓参考記事
「恵まれた才能」を受け取れないのはなぜ?
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