死ぬ直前や、絶体絶命の危機に陥った時、走馬灯のように過去が脳内で再生されるっていいますよね。
あれって、ピンチの際に何か解決策はないかと、脳内をサーチしてるんですって。
これまでの経験や、見聞きした知見のストックの中から、何か役立つものはないかと必死で探すのだそうです。
つまり、インプットされたものって残ってるってことです。
脳内からなくなるのではなく、思い出せないだけ。
自分が思い出せないことは、まるでなかったかのようにしてしまいがちですよね、大人は。
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謀(はかりごと)を話し合っているお父さんとお母さん、誰もいないと思っていたら6歳の長女ケイコがいることに気づきました。
ちょっと、お父さん、ケイコが聞いてる!
大丈夫だよ、子どもにはわかんないよ
漫画やドラマでよく見る光景です。
どうせ子どもにはわからないから
そう思ってるのは大人だけです。
あなたにもそんな経験はなかったですか?
目の前でお父さんはお母さんは「どうせ子どもにはわからないから」って言ってるけど、ロクでもないこと話してるというのはわかるっちゅうねん、っての。
子どもにはどうせわかんないから、そう言ってしまえるのって、自分の子供時代を忘れてしまってる人です。
子どもがいかに周囲の大人の顔色を窺っているか、そんな子ども時代をなきものにしているか、もしくは全くのレアケースとして本当に顔色をうかがわなくていい生育環境だったのかもしれません。
子どもは大人がいなければ生きていけません。
大人の顔色をうかがうこと、忖度することは必然ともいえましょう。
さて、今日の参考テキストです。
記事の主題は「子どもの頃にはなかったもの」ですが、筆者の益田ミリさんは「忖度」や「周囲の目」という回答があったことに対し、「わたしは子どもの頃の方が周りの目を気にしていたなあ」と書かれています。
ここに私は反応しました。
そうそう、子どもの頃って家の中の気配に神経使いまくってたよね、と。
何で誰の機嫌を損ねるかわからない、もしも損ねてしまったら早急に対処しなくてはならない。
そういう緊張を持って子ども時代を過ごした人は少なくないのではと思います。
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自分が神経はってた子ども時代を忘れてしまった人もいるでしょう。
意図的にフタをしてる方もあるでしょう。
あの頃は家の中の雰囲気が最悪で、生きた心地しなかったよね、と憶えている方もあるでしょう。
「周りの目」を気にしていたちっちゃいちゃんは、あきらかに存在していたのです。
大人になった現在のあなたが、周囲の目を気にしてしまうことで、何らかの支障をきたしているとしたら?
それはね、何十年も前のちっちゃいちゃんが、「周りの大人の目を気にして、しんどかったよー」と声をあげているシルシなんですよ。
ちっちゃいちゃんの声に耳を傾けてあげてください。
周りの人のことが気になっちゃうよね、って。
気に触ることしたらどうしよう?って心配してたよね。
顔色ばっかうかがって、自分の言いたいこと言えなかったよね。
しんどかったよね。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
「しんどかった」という気持ちが、自分では意識しないままずっと引っ張られていました。未完了でした。
「しんどかったよね」の一言が、それを終わらせることができるのです。
やっと気づいてくれた、そうちっちゃいちゃんは安心できるのです。
周囲の顔色ばかりうかがってしまうというあなた、忖度しないなんてあり得ないという方。
小さい頃の自分はどうだったかな?って、掘り下げてみてください。
なかったことにせず、思い出してくださいね。
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