↓これの続き
③3年間、部屋の天井を見て泣いているだけだった男の話
JRではなく国鉄。
令和生まれはもちろん、平成生まれでも「国鉄ってなに?」となる方は少なくないことでしょう。
餃子さんのお父さんは「国鉄の労組職員で、ストの後始末で左遷された」。
このフレーズから これ を頭に浮かべるのは、私のように昭和生まれでもまだ戦後の臭いを感じていた世代に限られると思います。
お父様が思想的にこだわりを持っていらっしゃったことは、想像に難くありません。
お父様の思想ゆえの転勤、生活環境の変化が餃子さん一家に落とした陰は、少なくなかったと思われます。
しかし餃子さんは、あくまで淡々と朗らかに過去を語られるのです。
自らの「こう、したい」「こう、なりたい」ではなく、他者のケアやフォローのために選んでこられた道。
お母さまのことも一段落して、ようやくこれからはご自分の人生を構築していけるのに。
これからどうしたいですか?
いくらお尋ねしても、やはり、餃子さんにこれからのビジョンはないのです。
餃子さんにそれを求めるのは私のエゴなのか。
「なるようになりますよ」という餃子さんの言葉を受け入れるべきなのか。
気持ちを露わにしなかった餃子さんが、唯一涙を流されたことがありました。
それは、お父さまから受け継いだものを手放すという選択が目の前にあること。
その選択肢があるということ自体、餃子さんにとって許容しがたいことでしょう。
お父さまやお母さまを守りきれなかったと、ご自身を責めていらっしゃったかもしれません。
そう、餃子さんが流された涙は、お父さまを思ってのものに違いありません。
やりたいことあるんですよ、と餃子さんがおっしゃいました。
何よ、何、何、あるんならさっさと教えてよ!
オヤジとの約束を果たします。
約束っていっても、オヤジには何も言ってないんですけどね。
オヤジが果たせなかったこと、オレがやります。
大したことはできないけど、やれるだけのことをやります。
それが「思想」に関わることでした。
昨今の日本の憂慮すべき政治の現状、戦争の気配を感じていらっしゃる方も少なからずだと思います。
一部の権力者の利己的な誘導、異議を唱えたくても声を上げることができない方も多いのではないでしょうか。
餃子さんはお父さまの意思を受け継いでいらっしゃいました。
お父さまの背中をずっと見つめながら、お父さまが餃子さんに求めるもの、餃子さんがお父さまにしてあげたいこと、それらと現実とのギャップに、目指すものとあえて距離を取ることをなさっていたように感じました。
そのギャップを埋めるために、ついにアクションを起こされるのです。
目指す山は高くて遠いかもしれませんが、いかにそれに近づくか、そのための諸々は餃子さんをこれから力強く支え、そして牽引してくれることでしょう。
なんのこっちゃない、尊い父子鷹の物語でした。
餃子さんがやりたいこと、ずっとあったのです。
セッション後、頂戴したメッセージです。
己の筆力のなさがこうも情けなかったことはありません。
餃子さんの長大な父と子の物語、その骨太い全容を味わえるのが私だけだなんて。
ブログ読者の皆様、せっかくの物語、すごいエピソードを全部お裾分けできなくてごめんなさい!
餃子さん、お父さまから欲しかったのに貰えなかったもの、どうぞ受け取ってください。やりたいこと、心置きなくやってください。
この度は大切なお話に触れる機会を与えてくださり、ありがとうございました。
