↓ これの続き
①「何がしたいかわからない病」へのファイナルアンサー
では続きを始める前に、忘れていただきたくない大前提を置いておきますね。
人が迷うのは「手段」にばかり目が向いて本当の「目的」を見失ったとき。「目的」が明確になれば、「手段」に右往左往しなくて済むようになる。
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シロップさんの育った環境は御多分にもれず、抑圧的なお父様の支配下、お父様の顔色を伺うことを強いられたものでした。
私もお父さんの顔色ばっかり見てたなあ、そう思われる方も多いことでしょう。
では、「お父さんの顔色ばかり見てた」ことが、現在のご自分にどのように影響しているか、お分かりですか?
当然のように、大人になった今でも場の空気を読むことや他者の顔色をうかがうことに、エネルギーを(無駄に)多く費やしていらっしゃるはず。
私って、今でも人の顔色をつい見ちゃうのようね
そのように自覚をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
では、顔色ばかり見ているせいで、あなたはどんなデメリットを被っているか、それはお分かりですか?
人が持てるエネルギーには限りがあります。
限られた容量のもの、特定のことにばかり使っていては、他にまわす分がなくなります。
守りにばかり力を費やしていては、攻めることが疎かになる、こう例えるとお分かりいただけるかな。
顔色をうかがうとは、顔色をうかがわないことで相手の機嫌を損ねることから自分を遠ざけるための防御、守り。
では、守ることだけに力を使い果たさずに済んだなら、何ができるか。
外の世界に向けて足を踏み出していくこと、外界への攻め。
自分が好きなものと積極的に繋がっていくこと。
「好きなものがわからない」「やりたいことがわからない」って、「好きなこと」「やりたいこと」に費やすエネルギーが枯渇してるってことなんですよ。
「好きなもの」も「やりたいこと」も実はあるんだけど、それと積極的に繋がっていってそれを育てていくだけのエネルギーがないだけなんです。
シロップさんは、手持ちのギリギリのエネルギーでなんとかご自分の「好き」や「やりたい」と繋がっていこうと奮闘されていました。
ご自分の気持ちに真にフィットするものを探していらっしゃるのだろうなあ、そう思って様子を遠巻きに眺めておりました。
そう、シロップさんは「手段」を探し続けていらっしゃったのです。
これかな?
これじゃない
あれかな?
あれじゃない
手にとっては味見をすることを繰り返していらっしゃるかのようでした。
しかし、欲せよさらば与えられん
「手段」ばかりを探し続けていたシロップさんの元に、ついに「目的」が姿を現したのです。
続きます。
