↓ これの続き
②「何がしたいかわからない病」へのファイナルアンサー
シロップさんは飲食関連のおしごとばかりをされていました。
なぜ飲食だったのか。
そこにはシロップさんがご両親から「欲しかったのに貰えなかったもの」があったからです。
穴ボコです。
その穴ボコを埋めるためにシロップさんは飲食にまつわる様々なお仕事をされていました。
しかし、何をやっても、「これだ!」と満たされるものには出会えません。
飲食のお仕事をして、作る喜びもサービスする喜びも感じることはできましたが、しばらく続けると「これじゃない」という気持ちに襲われます。
ある時、迷い続けるシロップさんに、奇跡的な出会いが訪れました。
山の中で(!)出会った老夫婦、そのご夫婦のご自宅に招かれ、その居心地の良さに月に何度も足を運ぶようになったとのこと。
ご夫婦の手料理でもてなされ、お二人との会話で豊富な学識(食や健康、自然や歴史、言論について)を授けられたそうです。
一緒に過ごす時間の豊かさ、それはシロップさんにご両親から「欲しかったのに貰えなかった」、「ありのままの自分を受け入れてくれる親の温かさや安心感、慈愛」を分け与えてもらえたと感じさててくれました。
そしてご自分の傷が少しずつ癒やされていくと実感できたそう。
そう、シロップさんがご両親から「欲しかったのに貰えなかったもの」は、単に食にまつわることではなく、「ありのままの自分を、食を共にすることでも得られること」だったのでしょう。
目指すものが明確になりました。
「ありのままの自分を受け入れてもらえることで得られる安心感を提供すること」
欲しかったのに貰えなかったものは、それを他者に提供することで自分が貰えたと同じになります。
シロップさんの穴ボコの正体は「ありのままに受け入れてもらえなかったこと」「安心させてもらえなかったこと」です。
ネガな印象を残した記憶は食にまつわる場面が多かったようです。
そのため、シロップさんは「飲食」方面に舵を切ってしまっていました。
でもそれは、シロップさんの穴ボコのごく一部でしかありませんでした。
食にまつわる痛みを埋めるために、シロップさんは飲食の仕事を選ばれましたが、それは手段でしかなかったのです。
真の目的が明確になっていないで、手段だけを探っていた状態といってもいいでしょう。
真の目的が老夫婦と共に過ごしたおかげで明確になりました。
「ありのままの自分を受け入れてもらえることで得られる安心感を提供すること」
真の目的が明確になった後、シロップさんにはまた運命の出会いが訪れました。
これを使うことで「ありのままの自分を受け入れてもらえる安心感」を得るためのツールとの出会いです。
そのツールとの出会いは、シロップさんを大きく前進させることとなりました。
その新たなツールとこれまでにシロップさんが習得した様々な技術、それらを統合することで「やりたいこと」「できること」のイメージがどんどん広がっていきます。
シロップさんがこれまで獲得した手段は、何一つ無駄にはなりません。
自分のように「親から受け入れてもらえなくて安心感を得ることができなかった人」に対して、安心してもらえるような場所を作ること、それをご自分の目標とされました。
安心できる場を作ること、これがシロップさんのやりたいこととして明確になりました。
もう迷わずに、歩を進めていただけているようです。
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病気って、治って初めて「悪かったんだ」と気づけることないですか?
シロップさんも、老夫婦に出会えたことで、老夫婦から授けたもらえたものによって、自分が欲していたものがなんであったのかがわかったのです。
老夫婦との出会いは、まさに奇跡的なことだったでしょう。
求め続けていたシロップさんの元に、「欲せよ、さらば与えられん」と、やってきたギフトかもしれません。
「何がやりたいかわからない病」の方、シロップさんのお話は参考になりましたでしょうか?
つまりは「穴ボコ」の正体を明確にすることが「何がやりたいかわからない病」の特効薬となるのです。
人は穴があると何か放り込みたくなります。
しかし、穴の正体がわからずにただ放り込んでも穴は埋まりません。
どんな穴が開いているのか、それをはっきりとさせれば、何で埋めればいいのかがわかります。
穴の正体がわからないまま、集めた様々な手段、役に立たないと思っていたそれらが「自分の出番がやってきたぞ!」と力を発揮してくれることでしょう。
求めよ、さらば与えられん。
みなさんの元にもシロップさんのように、森の精霊のようなメンターとの出会いがありますこと、腹の底より祈念いたします。
コネクトロンがお手伝いできるなら、それに勝る喜びはありません。
