お気づきの方は少ないかと思いますが、「フルセッションの流れ」の終わりに、ちょっとしたお願いを記載しています。
フルセッションの流れ
セッション後にアンケート、もしくはセッション内容をブログ化させていただくことをお願いしています。アンケートをご記入いただくことでお気持ちを整理できた、ブログ化されたものを読むことで客観視することができた、というご感想を多く頂戴しています。
また、皆さまの事例を読むことによって救われた、というご意見も多く。
是非ともご自身の体験を他のちっちゃいちゃんのためとさせてください。
参考エントリー:セッションを受けてくださる方にお願い
セッションを受けてくださる方にお願い
コネクトロンのセッションを受けてくださった方はご存知と思いますが、セッションが終わった後にまとめを送らせていただいています。
それを読んで「やっと自分が可哀想だと思えた」とおっしゃる方も少なからず。
セッションの時間内に気づいていただけたらそれに越したことないのですが、ビリーフが頑丈だった方には「ヨシヨシ」をなかなか腑に落としていただけないのです。
泣けない、ヨシヨシできない、という方へ
自分のことには泣けなくても、芦田愛菜の小役時代の演技には泣いちゃうでしょ。
※芦田愛菜は単なる例え
ご自分の経験を芦田愛菜に演じてもらうのです。
セッションの内容をブログ化させていただくのは、芦田愛菜化された物語を読んでいただくためなのですよ。
書く書く詐欺を長くしていたこちらの事例。
(終)3年間、部屋の天井を見て泣いているだけだった男の話
主人公の餃子さんから、「読んだよ」というメッセージを頂戴しました。
そこには「我が意をえたり!」と膝の皿を打ち破りたくなる記述がありました。
これ、これ!
>改めて他の人が書いた文章で読むと『結構この人ハードコアな人生送ってるな』と思いました
これなんですよ!!
なぜ自分の人生が他者の筆を読むまでハードであることに気づけないのか。
怪我をしたとしましょう。
傷を見てないうちは平気だったのに、傷を見ちゃったら痛さが増してくるってことないですか?
自分がおった傷と向き合って、その傷の度合いを見ちゃったら、痛くてやってらんないんですよ。
なので生きていくために、「こんな傷なんて大したことないわ」って言い聞かせないといけないのです。
「大したことないわ」って思わせる、いわば絆創膏なのです。
性被害にあった女子がビッチになりがちなのは、「私がされたことなんて大したことない」って自分に言い聞かせるためなんですよ。
そしてさらにひどい傷を自分に負わせるのです。
傷に耐え忍ぶ力を強くすることで、「大したことない」って思い込むのです。
絆創膏をいっぱい貼って感じないようにして、大したことない大したことないと言い聞かせていらっしゃる、それを子役(ちっちゃいちゃん)に演じてもらって、その演技を見ることで「私ってこんなに可哀想だっんだ!」って気づいていただきたいのです。
可哀想だった、と気づいてもらえて初めて、「ヨシヨシ」をすることができるようになります。
セッションを受けても問題がなかなか解決しないという方、ほぼほぼ「かわいそがり」が足りていません。
ヨシヨシができていません。
負った傷がどのようなものか、それを正確に把握しないことには治療もできません。
自分の傷を「こんなの大したことない」「世の中にはもっと大変な思いをしている人がいる」としていただきたくないのです。
だってそれでは、傷は治せないから。
傷ついた心は癒せないから。
傷を認めててください。
絆創膏をはぐって、その下の傷を見てください。
ひょっとすると、思っていたより治っているかもしれません。
しかし、そうでなければ、治してください。
まずは、「痛かったよね」と声をかけてあげてください。
その傷を負った時の、過去のあなたに。
ちっちゃいちゃんに。
私が己のしょぼい文章をどうにかしたいと悪あがきしているのは、皆さんのちっちゃいちゃんの物語を伝えたいからなのです。
セッションで姿を現してくれたあなたのちっちゃいちゃん、そのちっちゃいちゃんの声をあなたの元に届けたいのです。
ご自分がいかに慈しむべき存在であったかをわかっていただくために。
ああ、私ってこんなに可哀想だったんだ、そう気づけたなら、自分を大切にせずにはいられませんよ。
