②3年間、部屋の天井を見て泣いているだけだった男の話

↓これの続き

①3年間、部屋の天井を見て泣いているだけだった男の話

餃子さんのSNS投稿、もっかい読み直そうと思ったら、削除されてたー。

記憶の網目をたぐらなくては。

餃子さんのこれまでの人生、大きく4つの時期に分けることができます。

①北の大地時代
②お父さまの左遷
③お父さまの逝去
④お母さまの介護

最初にSNSに綴られていたのは④の時期についてでした。

お母さまの介護を一手に引き受けることとなり、経済的にも餃子さんは「積んで」しまったのです。

この時期、餃子さんは「部屋の天井を見て泣いているだけだった」そうなのです。

自分を失って変わり果てていくお母さまの様子と、お世話に奪われるエネルギー、餃子さんは介護の合間に「部屋の天井を見て泣いている」だけの余力しか無かったのです。

「ひとりで背負うしかない」と3年間孤軍奮闘していた餃子さんですが、万策尽きて、ついに助けを求めました。

長く会っていない北の大地にお住まいの叔母さまに、現況を訴えられたのです。

叔母さまからの言葉は、「介護はひとりでやってはいけない、私はそれをやって心が死んだ。あなたもすぐに福祉に助けを求めなさい。」と。

※ここまで追い詰められないと福祉に頼らないものなのだな、と驚きです。福祉サービスはその利用の敷居をもっと低くすべきですね。

餃子さんは福祉とつながることができ、ようやく「部屋の天井を見て泣いている」だけの生活から脱却することができたのです。

「部屋の天井を見て泣く」以外のことをする余裕ができたのです。

餃子さんから④に続き③、②、①の時代を綴ったメールをいただきました。

お父さまが国鉄の労組職員で、ストの後始末で左遷されたという過去、これはもうガチの筋金入りの闘争マン(なに、それ)ですよ。

星一徹なみの父親像が想像されました。

そういう父親のもとで育った男の子、同じものを引き継ぐか、もしくは反面教師として真逆となるか。

ガチの国鉄労働争議を潜り抜けてきたって、いわば歴史の生き証人、正直なところ、そんな父親のもとで育った餃子さんはどのような方なのか、それが私の興味をひいたのです。

そこでセッションの押し売りをするに至りました。

さ、餃子さんとオンラインで初めましてー。

いかんせん餃子さんは何か解決したいことがあって私に声をかけてくださったのではなく、私の押し売りです。

セッションのテーマとするものがないのです。

何か困っていること、もしくは、「こうなりたい」と希望するものはないですか?とお尋ねしましたが、特にないとのこと。

まあ、3年間天井を見て泣いているだけの状態から脱却できて、一段落しているとこなのかもしれません。

しかし、人生はまだまだ続く。

こうしたい、こうなりたい、というものがあってもおかしくありません。っつか、ないのが不思議。

さらに詳しく掘り下げていくと、見えてきたのはなんと、餃子さんはこれまで確固たる「こうしたい」「こう、なりたい」を持って生きてこられた訳ではなかったのです。

いわば行き当たりばったりの人生。

餃子さんの優秀さ/器用さが、やってくるものなんやかんや乗り越えてしまえるのですよ。

優秀な人ってのは、これが困るんですわ。

後先考えずにやれること片っ端からやって、そして気がついたら倒れてるっての。

餃子さん、人生で3回倒れていらっしゃいます。

倒れるというか、健康状態によって行動を心身とものに制限されるという状況ですね。

餃子さんからこれまでの人生の様々なエピソードをたくさんうかがいましたが、私の中に強く印象づけられたのはこの「体調不良」でした。

餃子さんの長い物語、続きます。

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③3年間、部屋の天井を見て泣いているだけだった男の話

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