献血ルームでは「占い」をやっていることになっています。
生年月日から日干(にっかん)をみて、セラピーカードとタロットを使っています。
献血ルームのスタッフさんはドナーさんに「占いやってますけど、どうですか?」と声をかけていらっしゃいます。
そのお声かけに応えて私の元にやってきてくださるドナーさん、そうですね、1日にお越しいただける総数の半分くらいが「占い、初めてなんです」とおっしゃいます。
私:そうなんですよ〜、実はここは(献血ルーム無料リーディングの意)占いが初めてだって人、とても多いんです。何でだと思います?
ドナーさん:????
私:占いが好きな人はとっくにお金払ってどっかで見てもらってるからですよ〜
ドナーさん:なるほど!
そして知りたいことを提示していただき、15分のミニセッションが始まります。
目の前にいるのは、占いが初めてだというスレていない方。
そいういう方に、私は色々と指南をしなくてはなりません。
「結婚したいんですけどできますか?」という方には
私:占いに行って、「結婚できますか?」と尋ねてはいけません
ドナーさん:なんで?
私:できません、で終わってしまったら困るでしょ?
ドナーさん:なるほど!
私:結婚したいんですけど、どうしたらいいですか?と尋ねてください。それに対して納得できる答えを提示してくれない占いには耳を傾けなくていいです
ドナーさん:なるほど!
占いとはパーソナルなものです。
尋ねた人にとっての吉凶は人によって違うのです。
明日は雨が降りますか?晴れますか?
田んぼが水枯れて雨が降って欲しい人にとっては、降雨は吉です。
晴れたら遠足を楽しみにしている人にとって、降雨は凶です。
自分がどうしたいか、どうなって欲しいか、それをまず定めなくてはなりません。
結婚したくない人にとって縁談成立は凶だし、結婚したい人にとって縁談成立は吉なのです。
占いとは自分の「どうしたいか」「どうなりたいか」を常に問われるものなのです。
「易」のドイツ語訳を書いたリチャード・ウィルヘルムがこう書いています。
易はふつうの占いの書の域をこえる。
ある占い者がトランプを見て依頼者に、1週間以内にアメリカから金を同封した手紙が来るといったとしよう。
依頼人としてはその手紙が来るまで
来ないかも知れぬが
待つほかはない。
この場合、予言は定命であり、人のすべきこと、すべからざることとかわからない。
だから占いは道徳的意味を欠く。
中国で始めて、ある人が、未来を占ってもらって、事をそのままにすませずに、それなら私は何をすべきか、と問い返したとき、占いの書物は智慧の書物とならねばならなかった。
出典
それなら私は何をすべきか
人が占いに求めるものは、これに尽きるのではないかと思います。
何を欲して、そのために何をすべきか。
それが自分ではどうにも思い至らない時に、占いは必要なものを提示してくれる事でしょう。
占いとは本来、自分と向き合うための作業です。
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続きのようなもの
占いだけでダメなのはなぜか
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