忘れていません、忘れていませんよ!
↓ これの続き
②3年間、部屋の天井を見て泣いているだけだった男の話
宮本輝レベルの大河ドラマ、私の手に余るもので一向に続きが書けませんでしてね!
山のようにある何十年分のエピソード、時系列で全部ご紹介するというのは諦めました(スイマセン、スイマセン)。
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私が餃子さんで引っかかったのは、未来の展望がないことでした。
これまでの人生も、先を見据えて動かれることがあまり無いようでした。
未来の展望がないと言うのは、「希望」がないということなのですよ。
馬の鼻先にぶら下げる人参のようなものがないのです。
希望がない状態とは絶望です。
自分の未来に明るいものを持たない。
未来を夢見ることを自分に許可しない。
ただ生きているだけの状態。
そういう状態を「死ねないから生きているだけ」と形容する方もいらっしゃいます。
餃子さんは頭の回転の早い、明るい方ですので、そんな絶望してらっしゃるなんて誰も思わないですよ。
餃子さんには育った環境において、二重三重にも呪いがかけられていました。
それぞれのエピソードを餃子さんは憶えていらっしゃいます。
餃子さんとはフルセッションではないので、トランスに入っていただいて出てきたものではないのです。
忘れていたことがトランスで出てきて、「そうだったのか!」と驚いてくださるのはいいのですよ。
その場でパラダイムシフト的なものが発生するので。
しかし、憶えているのにその事によって自分がどのようにダメージを受けているかの自覚がないケース、これが難しいのです。
起きた出来事は憶えているのですが、そのことで自分が傷ついたことはなかったことにしてしまっているのです。
向き合うのが辛い出来事だから。
餃子さんが軽く触れただけで終わらせようとされた、体調不良についての3つの出来事。
①生後3ヶ月で敗血症に罹患
②社会人になって肺を悪くした
③直近、部屋の天井を見て泣いているしかできないくらいになった
③は直近なので、まだ多くを語ってくださいましたが、①と②はさらっと語られたのでうっかり掴み損ねました。
何回か掘り返しをして出てきたもの。
①多くの輸血を必要としましたが、お父様の多くの同僚さんの協力で無事餃子さんは助かりました。お父様は「お前は命を助けてもらったのだから」と折に触れ餃子さんに様々なことを説かれたそうです。しかしそれは、子どもに感謝を受け取らせて伸び伸びとさせるものではなく、ある種の罪悪感を植え付けてしまっていたようです。僕は多くの人の手を煩わせてしまった、と。
②肺を患った餃子さんを心配するあまり、お父様も体調を崩されました。「オヤジは、俺のこと心配したせいで死んだんや」。これもサラッと言われたので、突っ込むタイミングを逸しました。お父さまが残されたメモには、餃子さんの体調を気遣うことばかりが書かれていたそうです。
①のエピソード、②のエピソードいずれを語ってくださった時も、餃子さんは起きた出来事について触れるのみで、ご自分のお気持ちについては何も述べられませんでした。
①②双方のエピソードでは、お父さまがいかに餃子さんを慈しんでいらっしゃったかが他人の私にも伝わってきます。
この落涙必至の部分でも、餃子さんは淡々とされているのです。
天井を見て泣くしかできないくらい、餃子さんが追い詰められたのは何故か。
短い時間でお話を伺った限り、やはり未来へのビジョンが、自分自身のwantsやneedsを後回しにして他者を優先する傾向にあったのではないかと感じました。
その「自分後回し」の癖は、「お前は命を助けてもらったのだから」と言い聞かされてきたことにつながるとしか、私には思えませんでした。
自分を何より愛してくれたお父さま、そのお父さまからインプットされた「命を助けてもらったのだから」、この「だから」の後にはどんな意味が込められていたのでしょうね。
もとい、餃子さんは「だから」の後にどんな「ねばならない」をご自分に課してしまったのでしょう。
自分を優先させること、人参を鼻先にぶら下げることではないでしょう。
天井を見て泣くしかなかった期間、それはお母さまが施設に入居されることで終わりました。
やっと餃子さんは、自分のために動けるようになったのです。
では、なぜ餃子さんはこのタイミングで私に声をかけてくださったのでしょうか。
次回、最終回はこちら
(終)3年間、部屋の天井を見て泣いているだけだった男の話
