20代せり鍋さんからのご相談です。
20代の会社員女性です。これといった才能も愛嬌もなく、せめて真面目にコツコツ頑張るしかないと思って生きてきました。けれど現実は、人からは見下され、給料も上がらず、生活も楽になりません。頑張っても所詮この程度かと、自分の冴えなさが情けなくなります。SNSでは、要領よく得をして華やかに暮らす人ばかりが目につき、自分だけが取り残されたようで嫌になります。こんな私は、どんな心持ちで毎日をやり過ごせばいいのでしょうか。
※読売新聞大手小町2026/02/18分を要約
あなたの罪悪感を消滅させる
ヨシヨシする人ヨシヨシスト
いまぷ です。
「自分はダメだ」って思うのはいいんですが(よくないけどな)、「見下される」ってのはキツいですね。他者との比較というのは終わりのないレースだから。
しかし他者と自分を比べずにいられる人など、そう居ません。「私は私」と思えたらどれだけ楽か。
SNSに限らずリアルな生活の場でも自分と他者を比較せざるを得ない機会はありますが、SNSはことさら明るい部分ばかりが強調されますから、自分で「暗い」と感じる部分も強調されてしまいますね。
自分は何のために生きているのか
ではせり鍋さんは、SNSで華やかな人たちは「何のために」生きているのだと思われますか?
派手な生活をするため?
せり鍋さんも派手な生活をしたいのであれば、SNSのキラキラから学べるものがあるかもしれませんね。しかし、おそらくせり鍋さんは派手な生活をしたいわけではないでしょう。
せり鍋さんに必要なのは「見下される」ということから解放されることだと思います。
「自分は見下される」という大前提があると、あらゆる問題の原因をそこに見出そうとします。
お給料が上がらないのは「見下されている」からだ。
ひょっとすると会社の資金繰りが悪いのかもしれませんし、無能が上司がせり鍋さんの能力を発揮させる配置を思いつかないのかもしれません。
真の原因がわかれば、適切な改善策を講じることに繋がります。
なぜ他者と自分を比べて「見下される」と思ってしまうのか。「人は人、自分は自分」と思えないのはなぜなのか。
せり鍋さんに「見下す」という色眼鏡を与えた人がいます。その人の要らぬお世話のせいで、せり鍋さんは事が思い通りにうまく運ばないことに対して「自分がダメだから」「見下される」「報われない」と思うしかなくなってしまったのです。
「報われない」という色眼鏡を外したなら、ご自分の「コツコツ」が実はSNS上のキラキラには代え難い才能であると気づけるでしょう。
他者からの評価は心地よいものですが、同じ物差しを持っていない人からは望むものを得ることはできません。まずは自分のものさして、自分の価値感/正義感を裏切らないことをやってください。
「間違ったことをやっていない」という自負はせり鍋さんを強くしてくれます。畑違いの評価で自分を測る必要がなくなります。
その時に「やりたい」と思えること、そのためにこそせり鍋さんは生きているのではないでしょうか。
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