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神戸元町コネクトロン 悩みの探偵:いまぷ です。
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🔴当記事タイトル :21年目の同情・共感・シンパシー
※再掲5度目。前回は『20年目の同情共感シンパシー』でした。
みなさんご存知のように(知らんか)、今日は別居記念日です。今のオウチを見つけたおかげで別居に踏み切ることができました。引っ越してきたその日、ぐっすりと眠れたことが忘れられません。それまでどれだけ緊張の日々を送っていたということか。離婚させてくれて、12年間雨露しのがせてくれてありがとう、オウチさん。
例え、その1。
ストーンズの名曲、「sympathy for the devil」は「悪魔を憐れむ歌」という邦題がついてます。
例え、その2。
香川リカが書いてたんですが、子育ての悩みを持ってきたクライアントさんに香山リカがなんか言ったら、
先生、子どもいないじゃないですか、子どもいないのに私の気持ちわかるわけないじゃないですか、って返されて、
子どもがいないと子育ての相談はしちゃいけないのか、社長の相談を受けるには企業経営者じゃないといけないのか、って
ブーブー文句たれてました。
例え、その3。
名バッターを指導するコーチが名バッターである必要はないですね。名選手が名監督になれるわけでもないし。
さて、震災21周年です。
被災者だ、と言うのは憚れるほどの被害しかありませんでしたが、私も一応被災者です。
それなりに人生設計が狂いました。
ひさびさに読み返した本。
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実は、この著者とは軽く関わりました。関わった内容は重かったですが(どっちやねん。
関わりがあった当時は、わー、すごい精神科の先生だ、というくらいの認識しかなかったのですが、
自分が人の心と関わるようになった今読んでみると、以前には気づかなかった多くの教えがありました。
傷ついた被災者との関わりに悩む中、いかに相手の感情に寄りそうか、ということが繰り返しでてきます。
治療するとか教え諭すとかとんでもない、できることは吐き出された言葉に対して何も付け加えず、
とにかく耳を傾けるだけなのだ、と。
「わかって欲しい、耳を傾けて欲しい」という気持ちに心を寄せることなのだ、と。
受けとめるだけ、ただ見守るだけ、ってすんげー難しいです。
その不安をまぎらわせるために何かせずにいられないのではないか、と思うくらい。
つまり、自分のよるべなさを克服できるくらいの度量がないと、
受けとめること、見守るこって出来ないのでしょうね。
同情という言葉はすっかり=憐れみとなってますが、本来は「同じ感情を共有する」ことだったのではないでしょうか。
共有できないほどの重いものに対しては、自らの感情を優位に保つために上から目線をもつしかない。
それゆえに、同情=憐れみ になってしまったのではないかと。
まったく同じ感情をもつことなど不可能です。
たとえ同じ場にいたとしても、暮らす環境、育った環境によって受けとめ方が違います。
人に対してネガティブな感情を抱いた場合、主語を「自分」にしろ、と言われます。
たとえば子どものやんちゃに腹がたった場合は、いたずらばっかりして悪い子ね!と怒るのではなくて、
私はあなたのいたずらに腹がたつ!と言い替えるのです。
これによって相手をジャッジするのではなく、自分の感情に距離を置いて向き合うことができます。
しかし人の感情に向き合う場合は、この逆でないといけないのでは、と思わされました。
かわいそうだな、と感じてしまう相手の状況に対して、わたしはあなたが大変なんだと思う、ではなく、
あなたはとても大変なのね、と、相手の状況を客観的に見ることが必要なのではないかな、と。
あくまで相手の大変さに気持ちを寄せる。自分の感情を入れてはいけない。
ここで自分の気持ちを入れてしまうと、憐れみテイストが醸し出されるのでしょうね。
だって、いま大変の渦中にある人に、自分の感情まで押し付けてしまうわけですから。
難しい問題をもって来られたクライアントさんには、打つ手がなくて途方にくれる、ってこともあります。
そんな時、できることはクライアントさんの気持ちに寄り添うことだけ。
己の無力感と闘いつつ、耳を傾けるだけ。
相手と同じ辛さを味わうのではなく、辛さに立ち向かっている辛さ、とでもいうか、
そこを受けとめる覚悟というか、そこしか誠意を見せられる部分はないですね。
亡くなられた方のご冥福を、なんてことは言えません。
そんな自分のボキャブラリーに存在していない非日常的な言葉。
生き延びた方々、残された方々にこそ、寄り添いたいです。
助けられなかったことを責めなくていいよ、生き延びてしまったことに罪悪感を抱かなくていいよ、と。
逝った人の分も生きてくださいよ、と。
生かされているのは意味があるからだ、なんて手垢がつきまくった表現ですが、
えっと、どっかで読んだフレーズ、あなたが死にたいと思いながら生きているその1日は、
生きたいと思いながら死んでしまった人が生きたかった日なのだ、って。
震災後、生きていることに辛さを感じている方がいるなら、その気持ちに寄り添うことができたなら、と思っています。
※来年は22年目として再掲する予定
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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