「やりたいことがわからない」、「何をしたらいいのかわからない」、コネクトロンでもよく聞くお悩みです。
考えてみれば、「やりたいことがなくてもいいじゃないか。とりあえず目の前にやってきたものを片付けていけばいい」と思えば済むことなのに、なぜかそう思えない。それどころか「やりたいことがない自分はダメなんだ」と、自分を責めてしまうことも。
そこには、他者との比較があります。やりたいことを持っている人と、持っていない自分を比べるからこそ、「ダメ」という感覚が生まれるのです。
小学生の「将来なりたい職業」のアンケートを思い出してください。女の子はケーキ屋さん(パティシェ)、男の子はサッカー選手。みんな未来に夢がいっぱいです。「そんなもの、なれるわけがない」と現実で瞬殺する思考に、子どもたちはまだ汚染されていません。未来に夢を描けるのは、心に余裕があるということです。目の前のことで精一杯だと、自分の将来など考える余裕は持てません。
「将来はパティシェになりたい」と屈託なく口にできる同級生を横目に、「ケーキなんてもう何年も食べていない」と思うしかなかった子がいたとしましょう。夢を持つ子がいるのに、自分はケーキの味さえ知らない。この「持っている子」と「持っていない自分」を比べてしまう切なさが、「夢のない自分はダメだ」という感覚につながっていくのでしょう。
でも、少しだけ立ち止まってください。
夢を持つあの子の「種」は、ケーキの美味しさという体験でした。12月25日の夕方、半額処分になっていたクリスマスケーキをお母さんが買ってきてくれた、「こんなに美味しいものがあるのか。パティシェになれば、これを作れるようになるのか」。種は、こうして心に蒔かれます。
つまり「やりたいこと」というのは、生まれつきの才能ではなく、心を動かす小さな出会いから生まれるものです。そしてパティシェに結局なれなくても、売れ残りのケーキに心を躍らせた記憶は、未来へ目を向ける力になります。余裕のない毎日であっても、心をあったかくしてくれるものを一つでも知っていることは、前へ進む力になるのです。
このことを教えてくれた一冊があります。様々な著名人の、人生の岐路となった子ども時代の出来事を50人分集めた本です。
中でも印象的だったのは、考古学者の相沢忠洋さん。関東ローム層から黒曜石の打製石器を発見し、それまで否定されていた日本列島の旧石器時代の存在を証明した人物です。
相沢さんの出発点も、小さな「種」でした。幼い頃に両親が離婚して家族はバラバラになり、小さなうちから奉公先で働いた相沢少年は、休みの日には近所の博物館に通い、土器や石器を眺めるのが楽しみでした。きっかけは、小学生の頃に近所の工事現場で拾った土器のかけらです。工事関係の人が教えてくれました、「大昔の人たちは、猟から帰ったお父さんをお母さんと子どもたちが出迎えて、囲炉裏の火を囲みながら一日のできごとを語り合って暮らしていたんだよ」。大好きだった家族と離ればなれになった相沢少年は、大昔の一家団欒の姿に心を打たれ、土器のかけらをずっと大切に持ち続けたのです。
最初から考古学者になりたかったわけではありません。遺物に宿る大昔の家族の姿の中に、欲しいのに得られなかった「家族の団欒」を見出したからです。相沢さんにとって考古学の研究は、失った団欒を探し当てる作業だったのかもしれません。そして、熱心に遺物を見つめる少年に気を留め、自宅に考古学の本を読みに来ないかと誘ってくれた博物館の守衛さんという出会いが、彼の道を開いたのです。
半額のクリスマスケーキの味、土器のかけら。夢の種は、どちらもどこにでもある小さなものです。
だから、「やりたいことがない自分はダメだ」と責める必要はありません。あなたの心の中にも、心をほんのりあったかくしてくれるものが、きっとあるはずです。それはいつか、あなたのこれからを照らす小さな灯になってくれるでしょう。
焼きそばパン買ってこいよ!とジャイアンから言われたら、あなたはどうしますか?
箸が転がっても、私のせいだ、とか思ってませんか?

