X(旧Twitter)に流れてきた無料コミック、無料分だけ読むつもりが結局全部課金してしまうということがよくあります。
電子の課金だけでは飽き足らず、紙のコミックまで全巻買ってしまうことも。
直近でそれをやらかしてしまったのが「軍人婿さんと大根嫁さん」という作品です。
エリート軍人さんが、田舎に婿として迎え入れられます。
※実はこれにも事情あり
それを事前に知らされていなかったお嫁さん、大いに慌てふためきます。
なんといっても、軍人さんは誰もが一目で魅了される美丈夫なのですよ。
お嫁さん、私なんかでいいのかしら、と不安でいっぱいです。
せめて自分が生まれ育った村を気に入ってもらおうと、お嫁さんは婿さんを村案内に誘います。
景色のいい丘、秋になると実をたわわにする柿の木、生まれた時からお嫁さんに懐いている馬や牛などの動物。
お嫁さんは自分の大切なものを、それは愛おしそうに婿さんに紹介するのです。
自分が愛おしく思うものをただ「ここが村一番の眺めのいい丘」「この木になる柿は甘くて美味しいの」「この子のお母さんは力持ちで重いソリを引っ張れるの」、それは誇らしげに紹介し続けます。
婿さんの手を引いて、嬉しそうに村を案内しているお嫁さん、その光景に既視感をおぼえました。

そうだ、Sさんだ。
Sさんはとあるオンラインサロンでご一緒させていただいている絵描きさん。
描かれた絵のみならず、添えられているテキストにいつもハート鷲掴みされてしまうのです!
Sさんが書いてる/描いてることって、お嫁さんが自分の好きなもの、美しいと思ったもんを婿さんに案内して紹介してるのとおんなじだ。
これが美しい
これが可愛い
これが愛おしい
自分がそう感じたものを、ただ「素直」に言葉にしているだけ。
どうして私の書くものには、Sさんが書くテキストのようにハート鷲掴みにするものがないんだろう。
Sさんと私が見ているものは何が違うのか、どうしてSさんが言葉にしたものにはそのものの良きところが溢れているのか、ずっと不思議でした。
大根嫁さんの漫画を読み返してわかりましたよ。Sさんやお嫁さんが見ているもの/書いているものと、私のそれとの違い。
それはジャッジの有無。
私はどうにもジャッジの色眼鏡をかけてモノを見る癖が抜けないようです。
色眼鏡がなければ、本来世界とは、お嫁さんやSさんが描くように、ただそのものの魅力に満ち溢れているだけなのです。
せっかくの魅力を、ジャッジという色眼鏡で半減させてしまっていたのは私ですよ!
うちのミカンはものすごい橙色なの
そうつぶやくだけで、ミカンの魅力は伝わるのです。
自分の目や耳などがキャッチした対象の有り様、ただそれをそのまま伝えるだけでいいのです。
子どもが電線の上のスズメを見つけて、「あ、スズメ!」と指差すだけ。そこにスズメに対して感じたものが、どれだけ詰め込まれていることでしょう。
その様子を目にした人は、言葉にできていない、その子がスズメに感じたものを受け取っているに違いありません。
「こんなふうに思ってもらいたい」なんて、言葉を重ねるのは余計なことでした。
伝えたいことを伝えたいように読んでくださる方が受け取ってくれるように。
言葉足らずになることを恐れて、不要なものを取り込みすぎていたと猛省。
これからは感じたものを「素直」に伸ばしていくことを心がけます。
「好き」なものを「好き」な人に「素直」に伝えていきます。
あなたの「好き」も受け取ります。
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