その1
Twitterを眺めていると(Xだなんて言わないぜ!)、見覚えのある花のツボミ画像がタイムラインに流れてきました。
お庭の植木鉢が写されていて、「なんて花かは知らないんだけど」とTweetされています。
ツボミの色と葉の形、これは私の好きな君子蘭ではないですか。
脊髄反射でリプを飛ばしました、ツボミだからよくわからないけど、君子蘭だと思います、と。
すると、開花している時の過去画像を見せてくださいました。
ありー、君子蘭じゃなかったよ、違う花だった。
ごめんなさい、君子蘭じゃなかった、それは○○です。
「そうですか、花の名前を教えてくれてありがとう、これは母からもらったのなんです」。

言葉にならないものが私の頭の中に溢れました。
母から息子に贈られた花の鉢。
これが対面だったら、頭の中の「?」をすべて言葉にして投げかけていたことでしょう。
お母さまの思い出を言葉少なく語ってくださいました。
「いい歳した大人の男が、マザコンでしょう?」
子が母を思うのは当たり前ですよ、マザコンってのは、「母から与えられたもの」を「母以外の女性に求めること」だと思ってます。
「そう言ってくれてありがとう」
お花の画像をアップされた時、お母さまのことを思いながらだったことでしょう。
そのお母様への想いが、私の中にも流れ込んできたようでした。
間違いなく温かいもの、でも、想いを尽くせなかった寂しさ、切なさ。
お母さんのこと、大好きだよねえ。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
その2
いつもオシャレなPさん、その日のお召し物の配色が引っかかりました。
その色、珍しくないですか?
「ああ、この色ね。これね、母が嫌いだったの」

「私がこの色を好きって言ったら、”暗い子ね”って言われちゃったの」
!!!!!!
「それからね、好きな色は他の色をいうことにしたの」
言葉にならないものが私の頭の中に溢れました。
小さければ小さいほど、子供にとって親は絶対君主、生殺与奪の権を握られています。
逆らえるわけありません。
親の顔色をうかがうことと、自分の「好き」を封印すること。
表立って困ったことはないかもしれませんが、いらない荷物を常に持ち歩かされているような、スッキリしない感はあったと思います。
自分の好きなもの、好きって言いたかったよね。
「そう、Pちゃんは○○が好きなの」って言って欲しかったよね。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
その3 うっかり
ご紹介した2つの例、いずれも私が何気に発した言葉がきっかけとなって、想いを吐露されたものです。
得意のネホリーナハホリーナをしようと思った訳でもなく。
むしろ、うっかり触って出てきたものは、それ以上触れることをためらわせるものでした。
探して掘り当てたものではなく、うっかり触れられたからうっかり漏らしてしまった。
まさに素のお気持ちに触れてしまった感があります。
はぁ〜、切ない。
ご自分の中にこのような切ないものがあると思ったら、自分で自分を抱きしめたくなりませんか?
コネクトロンでは、フルセッションでいわばこれを意図的に引っ張り出しているのです。
あなたが「誰にも見せるもんか!」と蓋をしているものを。
そうですよね、迂闊に触られちゃ嫌ですよね。
でもね、それを見つけたら、抱きしめたくなるんですよ。
自分で自分を抱きしめたくなるんですよ。
これがヨシヨシ®️です。
寂しかったよね
つらかったよね
抱きしめて欲しかったよね
丶(・ω・`) ヨシヨシ
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