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望むものは「自由」〜③諦め一択
開いたカードを見ての、くまきちさんの第一声。
「そうだ、私は自由が欲しかったんだ!」
出ました。
とうとう、出ました。
ここに来るまで長かったですねえ、くまきちさん。
「自由が欲しい」。
この言葉、軽くないんですよ。
だって、自由が欲しいって思うのは、今が自由ではない時だからです。
満たされている人は、「自由が欲しい」とは叫びません。
わざわざその言葉が口をついて出るということは、それだけずっと、何かに縛られてきたということ。
くまきちさんは、この瞬間ようやく、自分が「自由ではなかった」ことを認められたのです。
働きたくない。でも、それだけではなかった
くまきちさんは、かねてより「働くことが嫌だ」とおっしゃっていました。
そこには、ブラック企業で疲弊させられた過去がありました。
労働とは搾取されること。
働くとは、削られること。
そういう感覚が、くまきちさんの中に深く根を下ろしていたのでしょう。
だから、仕事の場で力を発揮することに、どうしても強い拒否感が出る。
それは怠慢でも甘えでもなく、過去に傷ついた人の、当然の防衛反応でもあるのです。
その一方で、くまきちさんは「おうちに居るのが大好き❤️」とも常々おっしゃっていました。
その言葉に嘘はないのでしょう。
意に沿わぬ労働を強いられるくらいなら、おうちに居られる生活のほうがいい。
専業主婦という形は、くまきちさんにとって、少なくとも心身を守るためには快適だったのだと思います。
でもね。
快適と自由は、同じじゃないんですよ。
ここ、とても大事です。
おうちに居られる。
しんどい職場に行かなくていい。
疲弊しなくて済む。
それは確かに「楽」かもしれない。
でも、それがそのまま「自由」かというと、そうではない。
自分の本音が言えない。
自分で選べない。
自分で決められない。
だったら、それはやっぱり自由じゃないんです。
だから、くまきちさんの中にはずっと残っていたのでしょう。
自由がない。
自由が欲しい。
その感覚が。
「言いたいことが言えたら自由」
そこで、お尋ねしました。
何ができたら、自由だと思えますか?
返ってきたお答えが、これです。
「ダンナさんに言いたいことが言えたら」
えっ。
ちょっと待ってください。
くまきちさん、ダンナさんに言いたいこと、言えてなかったんですか!!
ここ、衝撃なんですよ。
だって表面上は、そんなふうには見えないんです。
大きな支配や抑圧が、目に見えてあるわけではない。
けれど、ご本人の内側では、「言いたいことが言えない」ことが当たり前になりすぎていた。
当たり前すぎて、それを不自由だとすら思っていなかったのです。
怖いですよねえ。
人って、本当に不自由なことには、案外気づけないんです。
あまりにも長くそれが続くと、それが“普通”になるから。
我慢と忖度というお湯が張られたバスタブに、ずっと身を沈めていたようなものでしょう。
そのお湯はぬるい。
ある意味、居心地がいい。
少なくとも、誰かと正面衝突しなくて済む。
だから出られない。
いや、出られないというより、出ようと思いつかない。
くまきちさんにとって、そのバスタブは、他者との意見のぶつかり合いから守ってくれる場所でもあったのでしょうね。
でも、守られているのと引き換えに、失っていたものがあった。
自由です。
「やりたければやったらいいよ」が機能しない理由
では、ダンナさんに言いたいのに言えていなかったことは、何だったのか。
ここでさらに、話はややこしくなります。
くまきちさんのダンナさん、よほどのことがなければ
「やりたければやったらいいよ」
というスタンスの方なんです。
そう。
やりたければ。
この一言、さらっと見えて、実はものすごく重要です。
だって、本人が「何をやりたいのか」わかっていなかったら、その言葉は機能しないんですもの。
やりたいことがわからない。
だから伝えられない。
伝えられないから、ますます何も動かない。
苦しいのは、誰かに露骨に止められているわけではないことです。
ダンナさんが「ダメ」と言っているわけではない。
なのに言えない。
なのに動けない。
それは、長年染みついた忖度が、自分の中で先回りしてブレーキをかけてしまうからです。
これまでの夫婦生活の中で、くまきちさんがダンナさんに伝えていたのは、意見のぶつかり合いが起きなさそうなことばかりだったのかもしれません。
言っても安全なこと。
波風が立たないこと。
拒否されなさそうなこと。
そういうものだけを選んで出していたのだとしたら、肝心の
「ほんとうはこうしたい」
は、ますます埋もれていきます。
「言いたいことを言う」ためには、まず「言いたいこと」が必要。
「やりたいことをやる」ためには、まず「やりたいこと」が必要。
でも、その“まず”が、もうわからない。
このややこしさ。
これが、くまきちさんの抱えていた難しさだったのです。
海外に惹かれていたのは、自由になれたから
そんな中で語られたのが、「海外」の思い出でした。
海外に一人で行ったのは、自由になるためだった。
外国とは、やりたいようにできる、なんと自由なところだったか。
そうおっしゃったのです。
ここ、すごく大きなヒントなんですよ。
なぜ、外国では自由になれるのか。
なぜ、日本ではなく、外国だったのか。
答えは、とてもシンプルです。
お母さまから、離れられるからです。
くまきちさんに、病気のお兄さまのケアラーであることを強いてきたお母さま。
そのお母さまの視界から、期待から、忖度から、離れられる。
それが「外国」だったのです。
お母さまに何か言われるかもしれない。
こうすべきと圧をかけられるかもしれない。
機嫌を損ねるかもしれない。
そういうものから一旦離れて、自分で選んで、自分で決められる。
それが、くまきちさんにとっての自由だったのです。
忖度が骨の髄まで染み込むとどうなるか
くまきちさんに限りません。
長年の忖度が骨の髄まで染み込んでいる方は、たとえ今もう相手が目の前にいなくても、その人の声を内面化しています。
「これを選んだら何て言われるだろう」
「どうせダメって言われるに決まってる」
「こんなの望んだらわがままだと思われる」
誰かに止められる前に、自分で自分を止めるんです。
これ、本当に根深いんですよ。
しかも、ご本人はそれを「自分の意思」だと思っていたりする。
違うんですよ。
それ、長年の環境の中で身についた、生き延びるための癖なんです。
ほんとは100の選択肢がある。
でも、くまきちさんは絶対に安全な50の中からしか選ぼうとしていなかった。
拒否されなさそうなもの。
否定されなさそうなもの。
揉めなさそうなもの。
それしか選ばない。
そうすると、どうなるか。
大きくは失敗しないでしょう。
人とぶつかることも少ないでしょう。
表面的には、穏やかに見えるでしょう。
でもね。
燃えないんです。
力を尽くした感じがしない。
頑張った感じがしない。
生きた感じがしない。
永遠の不完全燃焼です。
これはしんどいですよ。
何もしていないわけではない。
ちゃんと生きている。
ちゃんと日々を回している。
でも、どこかでずっと
「こんなもんじゃない」
がくすぶっている。
それが積もると、心にも体にも出ます。
くまきちさんの原因不明の体調不良も、もしかすると、この「力の出し惜しみによる不完全燃焼」が一因だったのかもしれない。
そんなふうに私は思っていました。
本当に欲しかったのは「海外」ではなく「自由」
くまきちさんの「やりたいこと」の候補として、何度も何度も登場した「海外」。
でも、それは海外そのものが本丸だったわけではないのですね。
海外は、自由になるための手段だったのです。
本当に欲しかったものは、自由。
他者の顔色をうかがわずに、自分で選べること。
自分で決められること。
自分で動けること。
ようやく、ここがはっきりしました。
いやー、ここに辿り着けたのは大きいです。
だって、
「海外へ行きたい」
という願いと、
「自由が欲しい」
という願いでは、打てる手が全然違うんですもの。
海外に行かなければ自由になれない、ではないのです。
自由を得る手段は、ほんとうはいくらでもある。
これまでの自由は、「お母さまから逃げること」に重きが置かれていました。
でも、もし「逃げる」ことそのものが最優先でなくなったら。
自由はもっと豊かになるんですよ。
もっと日常の中に入り込んでくる。
もっと小さな場面で試せるようになる。
もっと現実的に、積み上げられるようになる。
50の選択肢を100に増やす
まずは、自分の行動フィールドを50の選択肢から100に増やすことです。
いきなり全部じゃなくていいんです。
でも、「どうせダメ」と自分で切り捨てていた側にも、ちょっとずつ足を踏み入れてみる。
やってみる。
選んでみる。
感じてみる。
これが必要なんですよ。
「やりたいことができていなかった」人。
「言いたいことが言えていなかった」人。
そういう人に必要なのは、頭で正解を出すことではありません。
体験です。
感じることのリハビリです。
やってみて、どうだったか。
嬉しかったのか。
嫌だったのか。
怖かったのか。
案外平気だったのか。
その一つひとつを回収していく。
そうやって、
「好き」と「嫌い」が戻ってくる。
「やりたい」と「やりたくない」が戻ってくる。
するとその先で、ようやく
「私、これがしたかったんだ」
が見えてくるのです。
仕事は自己実現ではなく、まずは自由を守るために
くまきちさんは、「仕事が決まらない」というテーマでコネクトロンにお越しくださいました。
でも、掘って掘って掘っていったら、出てきたのは「仕事」そのものではなかったんですね。
出てきたのは、自由でした。
だからこそ、ご提案したのです。
仕事には、好きなことをやってみるための資金稼ぎ以上の意味合いは持たせないこと。
そして、負担にならない程度の軽い仕事を選ぶこと。
くまきちさんは優秀なんです。
優秀だからこそ危うい。
目を離すとすぐに仕事に全力を注いで、肉体的に消耗してしまう。
そしてまた、「仕事=自由を奪うもの」になってしまいかねない。
それでは元も子もありません。
今いちばん大事なのは、仕事で自分を証明することではない。
自由を取り戻すことです。
おわりに
「自分で選んで、自分で決める」。
その感覚を、ひとつずつ、自分の中に取り戻していくこと。
くまきちさんがこれから、
誰かの顔色ではなく、自分の感覚で選べるようになりますように。
「どうせダメ」に止められるのではなく、
「やってみたい」に背中を押されて動けるようになりますように。
そして、自由を、ただ遠くにあるものとして眺めるのではなく、
自分の手の中で、少しずつ使えるものにしていけますように。
自由じゃなくてしんどかったよね
丶(・ω・`) ヨシヨシ
